アジア経済研究所(以下、アジ研)が発行した「アジアをみる眼」の「くらし」シリーズは、雑多なことを知りたい私にとっては名作シリーズで愛読している。以前紹介したことがあるが、改めて紹介しておく。このシリーズは、アジ研発行の雑誌「アジ研ニュース」の編集長大岩川嫩(おおいわかわ・ふたば)さんの企画と采配が結実したもので、彼女の退職とともにこの名物企画も終えた。雑誌の特集記事が、1986年から94年までに7冊の単行本になった。以下、そのラインアップを発行年順に紹介する。
『「はかり」と「くらし」』
『「こよみ」と「くらし」』
『「すまい」と「くらし」』
『「のりもの」と「くらし」』
『「たべものや」と「くらし」』
『「きもの」と「くらし」』
『「あそび」と「くらし」』
これらの本はもともと一般書には置いてなかったから、神保町のアジア文庫やアジ研内の書店で買っていた。今は、ネット書店をていねいに当たれば、ときどき見つかる。なかなか手に入らないから、見つけたらすぐに買った方がいい。
この「くらし」シリーズの最期の巻が94年に終えてから28年のち、「アジ研ワールド・トレンド」誌などの特集企画「世界珍食紀行」が、文春新書『世界珍食紀行』となって2022年に発売された。珍食というのは、日本人にとっては「ゲテモノ」だから、目新しい内容ではなく、一般受けを狙ったのだろう。以前のシリーズの書き手で記憶に残っている研究者重富真一氏が、今回は明治学院大学の教授となって登場している。タイを専門地域としてるから記憶に残っているのだ。この『世界珍食紀行』の重富氏の文章は内容的にはすでに知っていることだが、タイ料理に関する論文を書いていると知って、さっそく取り寄せた。
『全集 世界の食料 世界の食材 22巻 食生活の表層と底流 東アジアの経験から』(農文協、1997年)のなかで、重富氏が「『タイ料理』の形成―伝統の変質と継承」を書いている。
タイ料理とタイの食文化に関しては、私はすでに『タイの日常茶飯』(1995年)を出していて(重富論文も拙著に言及している)が、重富論文と私の本の違いは、私が「多分、こういうことだろう」とか「こういうことだと推測できる」といった想像を書いているのだが、重富論文では統計資料などによって論考して、結果的に前川の説明が「正しい」としている。
その例をひとつだけあげておく。
「タイ料理は辛い」と言われるが、実はかなり甘い料理もあり、それは昔からの味付けではないと私は思っている。砂糖もココナツミルクも、多用するようになったのは比較的最近のことだろうと想像で書いた。重富論文を読むと、1950年代まで、タイは砂糖の輸入国だったが、政府の砂糖生産奨励策により60年代からは輸出国になり、しだいにタイの家庭にも砂糖が入っていったという。1960年代の砂糖の消費量は、80年代に1.8倍にも増えている。どうやら、70年代あたりから、タイ料理が甘くなってきたことが各種資料によって証明されている。同じ時代に、ケーン(汁もの)にココナツミルクを多く入れるようになり、日本で「グリーンカレー」などと呼ばれる「タイカレー」が、日本人でも食べやすくなるほど甘くなったこともわかる。
ココナツの果肉を削って絞るココナツミルクは、作るのに手間がかかるので日常の食事には使わないぜいたく品だった、それは、ココヤシのプランテーションや機械で果肉を削る行程の導入などで、ココナツミルクが市場で手軽に手に入るようになり、粉末にして輸出もされるようになった。
ココナツミルクを入れないケーンは、塩辛く辛く、ほとんど日本人の舌とノドには受け入れられないが、ココナツミルクを入れた「ぜいたくなケーン」はまず中国系タイ人に受け入れられ、そして外国人にも喜ばれるマイルドなタイ料理になったというのが前川の仮説で、それが重富論文で証明されたというわけだ。
なるほど、韓国と同じだという話は、次回。
*『世界珍食紀行』に誤りと思われる記述があったので、資料のコピーをつけてアジ研気付けでそのエッセイを書いた著者(重富氏ではない、念のため)に送ったのだが、なしのつぶて。