1839話 時代の記憶 その14 マンガ雑誌 上

 

 1952年生まれの私は、団塊の世代(1947~49生まれ)から数年遅れて生きてきたことになるから、日本のさまざまな産業が団塊の世代相手に商機を見つけてきた時代をほぼ同時代に体験していることになる。幼児時代は当然知らないが、テレビも出版界も教育界も、爆発的に人口が多い団塊の世代と、日本経済の急成長とが相互に関連して、「新しい時代」が生まれていった。

 出版界では、受験雑誌や「少年少女世界の名作」だの、さまざまな動きがあったが、ここではマンガ雑誌だけ取り上げることにする。

 私たちの世代は、月刊少年マンガ雑誌の最期につきあい、週刊少年マンガ雑誌を黎明期から体験し、週刊青年マンガ雑誌の興隆の時代も知っている。

 マンガは、「まんが」や「漫画」などの表記があるが、固有名詞以外、このコラムでは「マンガ」としたが、特別な意図はない。

 マンガ雑誌の話に入る前に、貸本屋の話をしたい。私は街育ちではないので、団地のなかの商店街の、文房具屋のひとつの壁に開いた貸本屋しか知らない。小学3年か4年ごろ、『忍者武芸帳』など、白土三平作品を借りていた。1960年前後のことだ。60年代なかばになると、その文房具店は貸本部門を閉鎖して、文房具一本の商売を始めたのは、この店だけの事情ではなく、貸本専門出版社が減り、マンガ週刊誌の興隆があり、貸本屋という商売が終わりに近づいたということと深い関係がある。TSUTAYAなどの新しい貸本屋ではなく、昔ながらの独立系貸本屋で本を借りた経験のある「元少年」は、せいぜい1960年代生まれかもしれないと思ったが、地域によってはそうでもないらしい。

 あれは、1980年代か90年代だったかもしれないが丸の内線新高円寺付近を歩いていたら、「貸本」の看板があり、「まだあったか」という感慨があった。いま、ネットで杉並区あたりの貸本屋を調べてみると、高円寺の「大竹文庫」は2009年閉店、阿佐谷の「ネオ書房」は2019年」閉店というから、21世紀に入ってから生まれた少年でも、貸本屋を知っていてもおかしくないらしい。ここに店名をあげた2軒の貸本屋はいずれも中央線の北側で、私が目撃した貸本屋は南側にあった。東京や大阪などの古くからある住宅地では、かなり遅い時代まで貸本屋が残っていたかもしれない。貸本屋が消えていったのは、マンガ喫茶やチェーン展開の新貸本屋や、新古書店ブックオフの誕生などが大きく影響していることだろう。

 1970年代に入ってからだと思うが、地元の古本屋で元貸本数十冊がたたき売りされているのを目撃した。知っている作家は佐藤まさあきだけで、1冊100円くらいだったと思う。噂では、辰巳ヨシヒロらの作品はプレミアがついて高額で取引きされていることは知っていたが、あまり読みたくない本を投機目的で買い込む気にもならなかった。マンガに限らず、コレクションや投機のために本を買ったことはない。

 白土三平のマンガは、初めて読んでからそろそろ60年もたつが、ブックオフなどで揃いで売っていると、「まとめて読もうかな・・・」などとしばしば考えるが、買ったことはない。

 

トキワ荘」時代を描いたNHKドラマ「まんが道~青春編」(1987)の再放送が12月19・20日の夜、NHK総合で放送される。河島英五がいいぞ。