私の記憶では、出版界で「過去を振り返るブーム」がおこった最初は、「明治百年」をめぐる1968年頃の動きだ。国会図書館の資料を検索すると、「明治百年」でヒットするのは、図書や雑誌などで1738件だ。1968年のNHK大河ドラマが、司馬遼太郎原作の「竜馬が行く」だったことと「明治百年」が何かの関係があるのかどうかは知らない。
過去を振り返るその次のブームは、「昭和が終わった」時代、つまり1990年代だろうが、それは一過性のものではなく、団塊世代が老齢化するとともに、「昭和回顧」の本が数多く出ている。新聞社が出す本は文字による過去の記事が中心だが、写真資料も多い。
最近のものでも、こういう資料がある。『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 』(光文社新書)と、その続編の『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本 』(光文社新書)がある。ほかにも、『東京タイムスリップ1984⇔2021』と『東京DEEPタイムスリップ1984⇔2022』(いずれも河出書房新社)といった過去の街角写真集は、ありがたいことにいくらでもあり、街散歩者に楽しみを与えてくれる。おそらく、全国各地に「回顧もの」が多く出版されているだろう。大阪について書いている頃に欲しくなったのは、『昭和の大阪 昭和20~50年』(産経新聞社、2012)だ。
しかし、こういう資料では、例えば1960年の東京生活の実情はわかっても、農山村離島での生活はわからない。街育ちではないが、純農村育ちでもなく、新興住宅地育ちの私に、「こういう日本もあった」と画像で見せてくれたのが、弘文堂の『写真で見る日本生活図引』(須藤功編)だ。全8巻、別巻1巻の計9冊で構成され、箱入り高額版のほか、ソフトカバーの廉価版やオンデマンド版もある。全巻を買うには高すぎると思う人がほとんどだろうから、図書館の利用をお勧めする。東京しか知らない人が書く日本近現代史は、あまりにも不格好だと教えてくれる。
このシリーズのすばらしさは、昭和20~30年代の農漁村の写真を集めただけではなく、字引きのごとく図引きとして写真を読むことができる。
第4巻『すまう』から、内容を少し紹介してみよう。
アジア雑語林のこのコラムでたびたび書いてきたように、昭和30年代の農村でも女性は着物姿がほとんどで、夏のおばあちゃんは上半身裸という例も多い。もちろん、おっぱい丸出しで授乳する光景も普通だったというのは、私の記憶にもある。1960年代なかば、電車通学をしている中学生の私の前に座った若い女性が、いきなりブラウスのボタンをあけ、乳房を取り出し、膝に置いた赤ん坊に授乳したことがあった。純農村でなくても、こういう時代だったのだ。
『すまう』から何枚かの写真を紹介する。例えば、「箱膳の家族」とタイトルされた昭和28年の写真、場所は新潟県南魚沼郡の農家。家族6人の食事風景の写真に、35番まで番号がふってある。①畳の解説に、「一般に農家では縁なしの畳を用いた」。⑮下衣。モモシキ。現在は下着になっているが、本来はズボンにあたる野良着だったという解説がついていて、「へ~」と驚いた。「万年床」の写真は、昭和32年の岩手県。全体の解説にこうある。布団を「上げおろししないのは、仕事に追われていることもあるが、押し入れのなかったことが第一の理由である」という。民家の押し入れができるのは、江戸や明治時代に建てられた家が戦後建て替えられてからだといった情報は、ウィキペディアにはない。韓国や中国に押し入れがないが、ちょっと前の日本でも同じだったのだ。
「便所」という項の写真。撮影年不明の青森の写真。便所の⑭は籌木(ちゅうぎ)の写真で、これは別の本で見た写真だ。「ちゅうぎ」という名よりも「クソベラ」の方が知られているだろう。トイレットペーパー代わりに、木や竹のへらを使った。使用後のヘラは、鹿児島県では、燃やしてあたらせると吹き出物が治るといわれていたそうだ。
昭和44年の愛知県北設楽郡の農家の外観。外壁に小便器が取り付けてある。その説明は、⑱小便器 アサガオ「外で小用を催したとき、男も女も立小便をする」。昭和46年の岡山県の写真で、「こういう格好でするんだ」と、老婆が恰好を見せてくれた写真。
小学生時代、畑で立小便をしているおばあさんを見かけたことがある。高校生の時、東京の私鉄駅の男便所に入ってきたおばあちゃん、「足が痛くてねえ」と言いながら、隣りの小便器に背を抜けて、放尿(たぶん)。おばあさんと「連れション」ならぬ「並びション」をしたという貴重な体験をしている。
荒井由実のおしゃれな歌が流れている東京に、夜行列車で上京した集団就職の中卒者もいたことも覚えておかなければならない。平凡出版や集英社など東京の出版社が流し出す「おしゃれな都会生活」と同じ時代に、『写真で見る昭和生活図引』で見る生活もあったことを、私は肝に銘じている。
*NHK「新日本紀行」で、1974年の東京・佃島を取り上げた番組を見た。70歳を超えた女も男も、自宅では和服姿だ。