1851話 お茶やほかの飲み物の現代史 その1

 

 ちょっと昔の話を書いてきた流れで、お茶など飲み物の現代史を書いてみたくなった。

 1970年代のインドで、使い捨ての素焼きティーカップを見て、なんだか懐かしくなったのは、日本の鉄道旅で土瓶のお茶が記憶にあったからかもしれない。駅で売っている土瓶のお茶がポリ茶瓶に変わっていくのは1950年代で、その時代に鉄道旅をした経験がある私のかすかな記憶の底に、土瓶のお茶がある。

 若い世代なら、「土瓶てなに?」とか、「そんなものを駅で買わないで、ペットボトルのお茶を買って乗ればいいじゃない」などと言われそうだから、お茶やそのほかの飲み物の現代史を書いてみよう。

 「包丁やまな板、急須がない家庭が増えている」という話題がテレビで取り上げられるようになったのは、1970年代からかもしれない。その当時の、急須がない家庭の非アルコール飲料は、水道の水、ジュース、コーラなど炭酸飲料、インスタントコーヒー、ティーバッグの紅茶などだろう。自動販売機やスーパーで買ったコーラを飲むというのが、当時の都会的な生活だった。コンビニは1970年代から姿を見せるが、まだ店舗数が少ない。

 急須のない家庭が増えれば、自宅で日本茶を飲む人が減り、いずれ日本人は日本茶を飲まなくなるだろうという危機感があったというのが、茶業関係者の話だ。「それが、日本人がペットボトルに入ったお茶を飲むようになったんですよ。しかも、冷たいお茶を。驚きですよね」と話してくれたのは、お茶の本を多く書いている熊倉功夫さんアメリカ人が喜んですしを食べる時代が来るなんてという驚きの事実とともに、食文化の変化の速度は、研究者の予測をはるかに超えるという話題の流れで、熊倉さんとお茶の話もした。

 日本人が、タダだと思っているお茶にカネを出して飲むきっかけは、1981年から始まる。

 1981年 サントリー伊藤園が缶入り烏龍茶を発売。

その当時「烏龍茶」という文字を見ても、「ウーロン茶」とわかる日本人はまだそれほど多くはなかった。そもそも日本人は「ウーロン茶というもの」をまだ知らなかった。それは中国でも同じで、福建省あたりでしか飲まれていない烏龍茶は、上海や北京では「なに、それ?」という存在だった。中国で広く飲まれているお茶は、日本茶と同じ無発酵茶の緑茶だ。中国でサントリーが烏龍茶の広報宣伝に努めたと、広告のナレーションをした葉千栄東海大学教授)がラジオで語っていた。

 メーカーによって、「烏龍茶」と「ウーロン茶」の両方の表記があるが、ここではこれ以降便宜上「ウーロン茶」に統一する。

 発酵茶の紅茶や半発酵茶のウーロン茶は劣化速度は遅いが、無発酵茶の緑茶は、淹れて間もなく、色が変わり、風味もかわる。光と酸素の影響を受けやすい緑茶は、容易に缶入りにはできなかった。

 1985年 サンガリア伊藤園が缶入り緑茶発売。

 いままでタダと思われていたお茶を、カネを払って買うという時代の到来だが、当時の私の記憶では、多く売れたという印象はない。ペットボトル入りの茶飲料が発売されるのは1990年だが、ごみを増やさないという業界の自主規制により、1500ccのボトルを使うと決められた。500ccのペットボトルが登場するのは1996年だ。

 「日本コカコーラでは、コーラの販売本数よりもウーロン茶の方が売れている」という話を聞いたのはテレビだったか、それとも友人の噂話だったかの記憶がなく、確認も取れないのだが、コーラが売れなくなり、甘い飲み物もあまり売れなくなったという話も聞いたが、資料で確認したくなったので、次回に続く。