1858話 現場作業の夏と冬 その2

 

 真夏の仕事がつらいと思ったことがない。炎天下で仕事をしているから、当然汗をかく。職人たちが皆、ハチマキを締めている理由がよくわかった。汗が目に入ると、作業ができなくなる。高いところに上っているときに目を開けられなくなると大変だ。そういうことがわかってくると、私もタオルでハチマキをした。

 暑くなると、シャツが汗で湿り、脱ぐと風を感じて気持ちがいい。半そでや上半身裸で仕事をしているのは、素人の私くらいで、皆、長そでのシャツや作業服を着ている。その理由も、しばらくするとわかってくる。ひとつは、けがを防ぐためだ。ひっかき傷を防ぐ。金属片などが飛んできても、長そでなら、多少は防御になる。夏はもうひとつ、長そでを着ている理由がある。現場で仕事をしていて、突然腕に痛みを感じたことがあった。足場の金属パイプに腕が触れたのだ。パイプは炎天下で高熱になり、素肌に触れるとヤケドしそうなほど熱い。

 10時の休憩になると、「暑いぞ~!!」と叫びつつ水道の蛇口をひねり、まずは水をがぶがぶ飲み、顔を洗い、上半身に水をかけ、タオルでふく。これで心身ともに回復する。

 12時になると、同じように水場に行く。その後、日陰で弁当を食べて、ベニヤ板かベッドになりそうな板を探して、1時まで昼寝。横になった途端に、熟睡。誰も目覚ましなどを持っていないが、1時ちょっと前に目を覚まし、ほかの人もその音で目を覚まし、午後の仕事を始める。

 3時に休憩し、4時過ぎにまとめの作業に入る。5時前にトラックに道具類を積み、事務所に戻る。そういう毎日が、楽しかった。

 先ほど、我が家に来た電気屋さんとちょっと雑談をした。ちょうどこの原稿を書いている途中だったので、「電気屋としては、夏と冬は、どちらがつらいですか?」と聞いてみた。

 「まあ、どちらも、つらいですが・・・。夏は、屋根に上がる仕事はできません。昔は瓦屋根だから大丈夫だったんですが、今は金属屋根になったんで、黒いから暑くて、炎天下で熱くなっていてヤケドします」

 私の時代は、夏の方がよかった。冬は、つらかった。

 8時前に現場に着くのはいつものことだが、冬は石油缶を探して、まずは焚火だ。燃やしていい木材などいくらでもある。現在、我が家の近くでもしょっちゅう新築工事をやっているが、「現場の焚火」は環境問題と防火問題の両方が理由で、よほど田舎でなければ焚火は消えたと思う。ベニヤの外壁を貼ったら、電気のストーブを使うようになったはずだ。

 作業員だった時代に、もっとも寒かった日のことはよく覚えている。鉄筋コンクリート3階建ての小さなビルの生コン打ちの日だった。鉄筋屋が柱や梁を組み、型枠大工がベニヤで包む。そして生コンクリートを流し込む。その日なのだが、朝から氷雨が降っていた。大雨なら中止になるが,「少雨決行」である。型枠大工は、ふてくされたように、「アレと生コン打ちは、途中で止められないからよ~、始まったら最後まで行くんだよ!」と叫んだ。

 小雨の中、私は木づちで型枠をたたき、生コンが細部まで流れるようにした。寒くて、体が震えているのがわかる。うまく流れないと、鉄筋がむき出しになったり、砂利が固まっていたりするから、神経を集中させて、たたく。

 生コン打ちを失敗した状態を「ジャンカ」と言った。いま、試しに調べてみたら、語源はわからないものの、ウィキペディアに出てきた。

 昼前に作業が終わった。現場監督が、「ごくろうさん」ということで、出前で全員にうどんをとってくれた。現場に届いた出前のうどんだから、すでにアツアツではないが、暖かいだけでうれしかった。

 箸を手にしたが、割れない。うまくつかめないのだ。箸の端をくわえて、両手で反対の端を引っ張り、箸を割った。右手に箸をもったものの、生まれて初めて箸を持ったアメリカ人のように、げんこつで握っているのと大差ない。かじかんで、指が動かないのだ。うどんをつまむのをあきらめて、引っ掛けるようにして、口に流し込んだ。

 小雨が降っているから焚火はできず、寒くて昼寝の出来ず、全身ずぶぬれだが、着替えはない、着替えを持っていたとしても、午後の仕事があるから、着替える意味がない。そんな1日を、今も覚えている。悪い思い出ではない。