夢に「あるある」があるらしい。夢について書いたりしゃべったりしたもののなかに、同じ話題が多いことに気がついた。
元優等生たちが語る夢は、気がつくと試験会場にいて、試験を受けているという夢だという。試験勉強などまったくしていないから、どぎまぎしているという夢だそうだが、優等生ではない私は、そういう夢を見たことがない。
役者たちがよく見るという夢は、気がつくと舞台にいて、公演の初日らしいのだが、セリフをまったく覚えていない。稽古をまったくしていない。「それなのに初日を迎えてしまった」という夢を、役者になって何年もたっているのによく見るという。私は役者でも歌手でもないし、会社でプレゼンをするという立場でもないので、このような夢も見たことがない。
小中学生時代にしばしば見た夢は、小学校に着いたら手ぶらだったというものだ。ランドセルを持たずに登校してしまったという夢だ。中学校に着いたら、パジャマ姿だったという夢も、何度も見た。ちなみに、夢ではなく現実にやった人もいる。フリーアナウンサーがパジャマ姿でTBSに表れたという事件で、その放送を聞いていて「正夢か!」と思ったのを覚えている。
奇妙な夢も覚えている。ナイフで鉛筆を削っていて、ふと指を切ったら、スパッと切れて、痛みはない、血も出ない。「あれ、おかしいぞ」と思って、さらに指を切るが、やはり痛みはない。消しゴムを切るよう指を切っていたら、指2本が消えてしまい、とんでもないことをしたと怖くなったという夢で、怖くて目が覚めたのか、そのまま寝ていたのかは覚えていない。
そういえば、追いかけられて苦しむという夢は小学生時代に何度か見たような気がするが、それ以後はまったく見ていない。その怖い夢だって、何か悪いことをして逃げようとしたというのではなく、多分テレビドラマの怖いシーンを見たからかもしれない。このときの「怖い夢」体験があるから、現実に私が何かの犯罪を犯して逃げていたり、交通事故などで誰かを傷つけたとしたら、そのシーンが絶えず夢に出てきて、精神がおかしくなってしまいよそうな気がする。寝ても覚めてもPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)になりそうだ。
楽しい夢を見たいと思っている人は多いだろう。密かに愛しく思っている人や有名人などと、夢の世界で会い、楽しいひと時を過ごせたらどんなにいいかと思っている人は多いだろうが、多分、見たい夢を実際に見ることができるチャンスはそれほど多くないのかもしれない。NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」(1961~66)は同時代に見ていて、番組テーマソング(永六輔作詞、中村八大作曲)も聞いているが、とくに何かを感じることはなかった。
大瀧詠一作詞作曲の「夢で逢えたら」(1976)はのちに様々な歌手にカバーされているが、「ちょっといいな」という程度の感想だった。「恋しい人に会いたい」という歌だから、恋愛ソングのひとつにすぎないと感じていたからだろう。50を過ぎて、この2曲が心にしみるようになった。同世代の友人知人が死に、両親や親族も死に、もうこの世では会うことがかなわない人たちと、せめて夢で会えたらと願う歌に聞こえてくるからだ。