1861話 借金

 

 中学時代の顔見知りから借金を申し込まれたという話を書いていて、借金に関する思い出が2件浮かんだ。

 銀座の中国料理店でコック見習いをしていた時の話だ。レストランという場所は、厨房とホールに分かれていて、厨房の長は料理長で、ホールの長は主任だった。私が働いていた店の場合、経営者は不動産業を手広くやっている人物で、店にはあまり顔を出さなかったようだ。「ようだ」というのは、厨房に顔を出すホールの人はほとんどいないからだ。宴会の打ち合わせなど主任がやり、ほかの人とは料理を受け取りにカウンターに表れる以外出会うことがないから、社長が店にいるかどうか厨房の人間はわからない。

 ホールの人をウエイター&ウエイトレスと呼ぶのは古いのか、今はホールスタッフと呼ぶのだろう。そのスタッフのなかで、正社員は主任と男女のふたりで、あとはランチタイムだけのパートのおばちゃんたちと夜だけのアルバイトが数人いた。夜のバイトは役者数人が交代でやっていた。役者と言っても、名前も知らない。数人の役者のなかで、もっともよく姿を見せていた男は、日活アクション映画の悪役のような顔をした男で、コックをやめてからのことだが、ウチで昼飯を食べながらテレビを見ていたら、再現ドラマで愛人に刺殺される役をやっていて、さもありなんと思った。

 主任は50ちょっと前の女性で、その助手として活躍していたのが20代なかばの女性だった。「10代のころは暴走族の男とつるんでいたが、今は生活を改めて働いています」というのが私の勝手な想像で、実際の経歴は何も知らない。快活で、頭の回転が速く、店では重要な働き手だった。そのころはまだデビューしていないが、イメージとしては鈴木紗理奈だ。

 その女性が突然姿を消した。

 厨房であわただしく働いている見習いコックには関係のない話で、すぐには気がつかなかったが、しばらくして先輩から、そのいきさつを聞いた。

 そもそもは、カードローンの借金がかなりあったらしい。その借金を少しでも返済しなければいけない状況に追い込まれ、苦し紛れに主任の印鑑を使って、勝手に借金をした。「紗理奈」は主任の片腕として信頼されていて、レジも一部任されていた。レジに、店と主任の印鑑があるのも知っている。ちょっとカネを借りるだけで、すぐに返せば問題はないと考えたのだろうが、他人名義の借金も返せなくなり、逃げたということらしい。その後、どう解決したのかは知らない。

 コックをやめて、ライターになった。ときどき顔を出す小さな出版社で、雑用全般を担当するアルバイトがいた。20代なかばの女性だ。

 ある日、その出版社に顔を出すと、そのアルバイトの姿がなかったが、だからといって気にもしていなかった。銀行や郵便局に行くことは日常業務だし、休むこともあるだろう。しかし、「いやあ、ひどい目にあってね」と編集者が話し出したので、その事情がわかった。アルバイトは借金を抱えていたようだ。それがカードローンなのかどうか覚えていない。時代的には、まだ「サラ金地獄」という言葉は広まっていないが、もしかすると「借りてはいけない業者」からの借金だったのかもしれない。

 会社に、電話がかかってくる。本人は不在だと答えると。「金返せ!と伝えろ」という伝言を伝えられる。それが毎日で、編集業務に支障をきたしたが、もうその頃には、アルバイトはとっくに姿を消し、行方不明になっていた、というわけだ。