『空と宇宙の食事の歴史物語』は、前回紹介したように、おもしろいエピソードが詰まっていて、「電子レンジ爆発事件」など紹介した話がまだ数多くあるのだが、きりがないので自分で読んでください。
この本を読む私自身の欠点は、飛行機を知らないことだ。機械が苦手だから、飛行機という機械に興味がなく、何度乗っても、自分が乗っている飛行機の機種がなんだか知らない。ひょんなことで知ったとしても、すぐに忘れる。ジャンボ機こと、ボーイング747だけは、その姿をちょっと見ただけでわかるような気がするが、バリエーションが多いから、それぞれを見分ける自信は毛頭ない。
『空と宇宙の・・・』には数多くの飛行機が登場するのだが、その姿が頭に浮かばないから、読書を中断して、旅客機の本を次々と注文した。戦闘機や爆撃機には興味がないから、「飛行機の本」ではなく、「旅客機の本」だ。旅客機について知りたかったことのひとつは、「あれは、どういう旅客機だったのか」という疑問を解明したいということだった。
1970年代の末、当時の名前で言えば、ビルマのラングーン空港。小さな空港だから設備らしいものはない。ビルマに来たときはタラップから地上に降りて、ターミナルに歩いた。出国時は、ターミナルからすぐ目の前に停まっている飛行機までは歩いていく。尾翼下に階段が下がっていて、乗り込む。アクション映画などでは、軍用機にこういうシステムのものがあり、機体後部の下から乗り込んだり、空中で落とされたりするシーンがある。
あの尾翼下の出入り口はなんだという疑問は、すぐにわかった。専門用語では、エアステア、意訳すれば「空中階段」だ。小型機や、空港の設備がない小さな空港では、機体の壁や床を外に押し出して階段にするこの方式が採用されているらしい。
私が乗った機種は、ダグラスDC-9か、ボーイング727らしいが、どちらも尾部にエンジンがありT字尾翼(垂直尾翼の上に水平翼がついている)があるから、かすかな記憶ではどちらか判断がつかない。だからといって、問題はなにもない。
旅客機の写真を見ていて気がつくのは、飛行機マニアという人はが外見が気になるが機内はさして気にならないらしい。「エコノミーなら、どこの会社の飛行機も同じようなもんだろ」と思うかもしれないが、そうでもない。
1975年に乗ったソビエトの国内線、ハバロフスク・モスクワ線の機内が長らく気になっている。「イリューシン」という機種名は記憶にある。いろいろ調べたら、アエロフロートのイリューシン62(Il62。ラテン文字はわかりにくいが、大文字のIアイに、小文字のlエルだから、アイエル62)。1963年の初飛行だというが、機種名は62となっている。製造年が1962年なのか。
この飛行機最大の特徴は、隣りの人と話をするときでも怒鳴らないといけないほどエンジン音が騒がしいことと、エンジンの上に座っているかのような振動が絶えず続いていることだ。旅行業界では、「空飛ぶ電気アンマ」と呼んでいたらしい。機内風景で驚くことは、通路に階段があることだ。
この写真で、あの姿が少しわかる。通路の途中にギャレー(台所のような施設)がある。
通路と段差があるのだ。この写真では段の上の両側がギャレーになっているが、私が乗った旅客機は、段の上の左側がやはりギャレーなのだが、右側は洋服屋の試着室のようにカーテンがかかった小部屋があり、そのカーテンを開けると、通称アサガオ、変色しているが正式名男子小用便器が壁に取り付けてある。普通は見かけない小さな便器だった。尿臭がした。ハエが飛んでいる。高度を飛んでいるとはとても思えない設備で、おそらく輸送機をちょっと改造したものだろう。
旅客機の写真集で、こういう機内写真も見たかったのだが、見かけなかった。中南米やアフリカを飛ぶ飛行機なら、かなり刺激的な内装の旅客機もあるだろうが、飛行機マニアはそういう写真を好まないらしい。