1869話 古書店主の日記 下 

 

 アマゾンに敵意を燃やす古書店主の話を2回にわたって書いた。「訳者あとがき」に後日談が書いてある。著者のアマゾン憎悪はますます強まり、アマゾンを介した販売をやめて、自前の古書サイトを立ち上げた。しかし、だ。この日記を含めた彼の著書3冊は、キンドルで好調な売れ行きを示している。

 「腹ペコのときにベーコンロールを勧められたヴィーガンの気持ちがやっとわかった」と著者は書いているという。日本語で言えば、「背に腹は代えられぬ」か。

 この日記によれば、値切る客が多いようだ。「まとめて大量に買うから安くしろ」というのではなく、1冊の本でも値切るという日記の文を読み、新刊書ではない古い本は、古いテーブルやアクセサリーと同じように考え、骨とう品店で値切るのと同じだと考えているようだ。古本屋商売に慣れていないということか。古い本が店内に積んであると、「どうぞご自由にお持ち帰りください」という意味だと理解する人がいるという。これも、古本屋を知らない田舎町だからか。商品を勝手に持ち帰るということで思い出したのは、「旅行人」の初期も、ブックレットのように薄い冊子で、レジ近くに置いてあると、出版社の広報誌のように、タダだと思う人がいるので、「デザインに工夫を」と書店から依頼されたと発行人がエッセイで書いていたっけ。

 思い出すと言えば、値切ったり、エンピツで書いた値段を消して安い値を書き込む客がいるという記述を読んで、植草甚一も同じことをやっていたのを思い出した。店が書いた値を訂正するのは、単に安くするという行為ではなく、「この本にはこの程度の値段がふさわしい」という植草なりの訂正だったのだろう。

 店では売れないことがわかっている本を、オークションで仕入れてくることがあるという話は、こういうことだ。「そこそこ豪華な装丁の全集」は、「オークションでアンティーク家具ディーラーに売れる。というのも、彼らが本棚を売ろうとするとき、見ばえのいい本が入っていたほうがずっと売りやすいからだ」。

 日本の書店主の話を思い出す。家を新築した成金から、「壁を飾るのにかっこいい本を、100万円ばかし、持って来い」というものだ。私の乏しい知識だが、革装金押しの豪華装丁だけの全集は、成金向けの通販で扱うらしい。内容は著作権が切れた文学全集だ。しかし、書籍の歴史の差で、「豪華に見える本」は、日本にはあまりない。そういえば、古本屋店主が、「ドラマに使うので、高そうに見える本を大量に貸してくれ」という注文があったという話をしていた。大作家やカネを持った大学教授の自宅セットに使うという。

 本の話ではないが、この本の最期あたりにあるこんな文が、日常を感じさせて好きだ。

 「注文を二件まで印刷したところでインクが切れたので、純正品ではないカートリッジに替えたところ、コンピューターがフリーズして、本機は純正カートリッジ以外では作動しませんというHPのメッセージが出た。しかたなく純正品をオーダーしたが、これで注文の本を発送できるのは水曜日になるから、悪い評価がついてしまうだろう」

 アマゾンの評価ということで、私にこういうことがあった。注文した本と共に売主の「お願い」が封筒に入っていたことがあった。それによれば、5★が満点の評価の3★は、日本の評価基準では「まあまあ、普通」なのだが、アマゾンは「2ポイントの欠陥・問題点がある評価」で、5★は「最高」ではなく「問題ナシ」という評価基準だから、問題なしなら5★評価にしてくださいというものだった。

 なるほど、売主もつらいのだな。