1870話 私と本屋 上

 

 スコットランド古書店の話に続いて、私と本屋の話をしてみよう。

 10代は、もっぱら新刊書店で買っていた。中学生時代から神田神保町に行っていたが、年に数回行く程度だから、まとめ買いといってもカネがないのだからタカが知れている。20代に入って神田、早稲田、中央線沿線の古本屋を巡ることが多くなった。新刊書は、「これから出る本」を丹念に点検して、購入候補書籍を手帳に書き込み、書店で現物をチェックするのだが、まだライターになっていない私には今すぐ必要な本などなく、しかも、音楽も本も「新しもの好き」の志向は私にはなく、新刊書を買うことはしだいに少なくなってきた。

 ベストセラーにはまったく興味がない。小説を読まないから、「あの作家の新刊を」という気持ちもない。目黒孝二さんは、趣味と仕事で、新刊を真っ先に読んでいたから、日に何度も新刊書店に行って、入荷した本の点検をしていたという。「本の雑誌」の連載「新刊めったくたガイド」の資料が必要ということもあったのだろうが、もともと新刊好きだったのだろう。

 私は、20代後半ごろには、自分が読みたい本の方向がほぼ決まっていた。

 小説も宗教書も自己啓発本も読まないから、読書範囲が狭いかもしれないが、「雑多な本が好き」という意味では、小説ばかり読んでいる人よりも読書範囲は広いかもしれない。私が読みたい分野の本は、珍しいものではないが、どこの本屋にもあるというものではなく、しかも新刊書にはあまりないから、どうしても古書店に通うようになった。具体的にいえば、中公文庫や中公新書NHKブックスなどの既刊書で、その多くは「品切れ,増刷未定」だから、欲しくても新刊書店では手に入らない。

 例外が、神保町すずらん通りにあった2軒の書店で、どちらもよく行った。1軒は、地方や小出版社の本を扱う書肆アクセスで、もう1軒はアジア文庫だ。さまざまな研究機関などからの報告書や自費出版物など、ほかの書店では手に入らない、もしくは手に入れにくい出版物を、この2軒の書店で買っていた。タイに深くかかわっていた時代は、タイでも本を多く買っていたので、日本の新刊書店で本を買うことは少なくなっていた。

 コロナ前までは、月に1度は神保町に行っていた。いつもの習慣として、三省堂東京堂、書泉といった新刊書店には立ち寄り一応は新刊書をチェックするものの、買うのは、年にせいぜい10冊くらいだろうか。その昔、読みたかったがあまりに高額だから買えなかった本が文庫で復刊とか、単行本未発表の原稿を集めた本などを特に点検した。ここ15年ほどは、本よりもCDを買うことの方が多くなった。

 スコットランド古書店主が嘆いているように、2000年代以降、私もアマゾンが気になる人間になった。私はスマホを持っていないから、神保町の書店で、アマゾンの値付けと比較するようなことはしないが、「う~む」と唸ることはある。

 こういうことだ。三省堂で、すぐに読みたい本が見つかった。2800円だ。「よーし!」と思い切ってすぐ買った。帰宅してアマゾンで調べると、出たばかりの本なのにマーケットプレイスで送料合わせて2100円で売っていた。こういうときは、「まあ、そういうこともあるさ」とあきらめることにしている。2400円の本がブックオフで1750円の値がついていたが、アマゾンで送料込みで650円ということもあった。そんなことは、よくあることだ。

 今、思い出した。新刊書を安く買っていた時代があった。1980年代の話だ。その古本屋には出たばかりの本が多く置いてあり、かなり安い。「なぜこんなに新刊ばかり・・・」と思っていた。ある日、買った本に「乞う、高評」と書いた紙が挟んであって、出版社から送られたことが明らかだ。「そうか!!」と気がついた。その古本屋の近くに出版社があり、そこの雑誌編集部宛に、書評用の本が大量に送られていて、それを毎月売却し、編集部の飲食費などにしていたのではないか。あくまで想像だが、まあそんなところだろう。残念ながら、その古本屋はとっくの昔に閉店している。