1871話 私と本屋 下

 

 この2週間で15冊ほどの本を買った。すべてアマゾンを介して買った本で、そのうち10冊はいつもの雑多な本で、ほかは原稿の資料になるかという期待を持って買ったものだ。5冊の中に、『地球の歩き方 世界の麺料理』もある。この本を新刊書店で買わなかったのは、近くの書店にこの本がなかったからであり、電車に乗って大書店に行く交通費を考えたら、アマゾンで買った方が安いからだ。ネットで本を買うと、「内容を確認できない」というリスクがある。アマゾンの「ほしい物」リストに入れておいた本を書店で見つけて内容をチェックすると、「な~んだ、この程度か」とがっかりして、「ほしい物」リストから外すことも多い。知らない著者の本は怖い。ネット書店で買うと、当然「はずれ」もあるが、それは誤差だと考えている。書店で選んで買った本だって、読んでみれば「はずれ」ということもあるのだから。

 数日前に歯医者に行ったあと、久しぶりに新刊書店に行った。文庫の新刊の「顔」をさらっと見たが欲しいものはない。雑誌売り場に行き、おもしろそうなものを探していたら、読書ガイドのムックが2冊あった。

 「POPEYE特別編集 僕たちはこんな本を読んできた」

 「BRUTUS特別編集 合本 すべては、本から。」

 2冊とも内容をチェックした。悪くない作りだが、買うほどのことはないと思った。ていねいに読んだら、欲しい本が数十冊はあるかもしれないが、買ったけどまだ読んでいない本が山になっているので、興味のない振りをしてムックのページを閉じて棚に戻した。よくできたムックだとわかっていながら、立ち読みをして内容をきちんと点検してみようとしないのは、買いたくなる本を見つけてしまうのが怖いのだ。建前ではあるのだが、できるだけ本を買わないようにしているからだ。もう、これ以上、本を増やしたくない。

 私の興味範囲の本なら、読み手ではなく紹介文の書き手になる側で、興味範囲を外れてしまうなら、読む気のない本になるんだから、ブックガイドはいらないなどと、この2冊のブックガイドを買わない理由をあれこれ考える。「本を読みたいが買う気はない」というなら図書館を利用すればいいのだが、昔から図書館の本と相性が悪い。他人の本を、自分のリズムで読むことができない。20ページ読んで、別な本が気になって読み始めたりということをよくするので、期限までに読むことができない。かつて、ものすごい貧乏だったとき、勁草書房の東南アジアの小説や研究論文を集めた全集「東南アジアブックス」を読破したいと思ったが高くて買えず、図書館で借りてノートをとりながら読んだが、そのほぼすべてを後日買っている。「もう一度調べたい」と思った深夜、手元に本がないと困るのだ。

 なるべく本を買わないようにしているというのに、読む機会を逸していた『活字たんけん隊』(椎名誠岩波新書)が先ほど届き(発注したから届いたのだ)、すぐさま読んでいる。近頃集中力に欠けるので、疲れると本の活字からネットの文字に移行して、池内紀の著作を点検して、「ああ、読みたいなあ」と思う本を4冊、アマゾンの「ほしい物」リストに入れた。その流れで、地方小出版流通センターの出版物リストも見る。書肆アクセスはこのセンターが経営していた書店で、私はおもに沖縄の出版社が出している本をチャックしていた。だから今、沖縄の出版社ボーダーインクのホームページを読む。

 読みたい本がいくらでも出てくるというのは幸せなことだ。読みたい本はなく、見たい映画もなく、食べたいものもない「無欲の生活」なんか、楽しいわけはない。

 ブックガイドを買うことにブレーキをかけているが、興味はたっぷりあるがあまり知らない音楽分野なら、ときどきディスクガイドは買う。最近買ったのは、「ブルース&ソウル・レコーズ no.167」(トゥーヴァージンズ、2022,10)の「特集 60年代ソウルの基礎知識。名盤150枚以上掲載のディスクガイド」。ガイドを買ったからと言って、すぐにその「名盤」を買ったりはしないのだがね。そう、私にとってディスクガイドは読み物なのだ。