旧知の大学教授と世間話をした。
「そういえば、今の大学生は、外国に行くこともできずに卒業していくんですね」と私が言うと、「旅行なんてこと以前に、もっと大きな問題が起こっているんですよ」と教授が言った。
「このご時世だから、親の仕事がうまくいかなくて、店を閉じるとか会社が倒産するといった事態になり、『先生、大学を辞めようかと考えているんですが・・・』という相談を受けることが多くなってね。奨学金も狭き道になっていて・・・」
フランス文学を専門としている別の教授は、「フランスやドイツなら授業料はタダだから、自分の生活費が稼げれば大学に通えるんだ。親の負担を考えるなら、日本の大学には行かないで、フランスの大学にすればいいんだけど・・・」と言った。
日本の大学が小中学校と同じように授業料無料にするのはすぐには無理だが、比較的、あくまで比較的だが、「大学授業料無料化」よりも簡単に、苦学する大学生を助ける方法はある。
選挙制度と同じように入試制度も、ベストはない。ベターのシステムしかない。それを前提とする。私が考えたシステムは、全体的には「大学全入時代」とは逆に、大学生の数を減らすことだ。そうすれば、教育費に苦しむ親が減り、40歳になってもまだ奨学金返済に苦しむ「元大学生」も少なくなる。
1、高校生が中心となるが、大学入学希望者は、「大学入試資格試験」を受ける必要がある。大学進学を希望しない高校生は、受験する必要はない。この試験で、最低限の学力もないと判断される足切り点があり、そのレベルに達しない受験生は、大学進学は不可とされる。
2、受験科目やレベルによって、いくつかの試験類があり、高校生は2回まで受験可能。高卒者は、年1回受験可能。
3、資格試験合格者に対して、大学はそれぞれ独自に筆記や実技政権や面接を行なうことができる。
4、大学進学希望者で、大学での授業を受けるだけの最低限の学力はあると認定される者で、しかし学費が払えない環境にある者は、奨学金を受けることができる。
5、奨学金は、有償、無償の別や、全額支給や半額支給など、バリエーションがある。受験生の成績や家庭環境によって差がある。大学生だけでなく、専門学校の生徒にも奨学金の支給は可能だ。
6、奨学金の原資は、大学に与えている補助金を充てる。大学で学ぶ気がなく、大学で学ぶ学力のない高校生が進学して、なにも勉強しない学生がいる大学に補助金を与える必要はないので、そういう高校生の受け皿になっている大学への補助金支出は打ち切る。定員割れの大学には補助金を支給せず、したがって経営困難になるだろう。
7、大学の倒産が増えるだろうが、それはいたしかたない。学力や学歴による格差が生まれるが、それも仕方がないことだ。私の考えは、学歴ではなく、学力や腕に技術があるものは、その技術が評価されるシステムも同時に進めることだ。「誰もが無理してでも大学に行く。それだけでいい」という学歴偏重主義は、決して望ましい社会ではない。必要なのは学力であり、学歴と学力を一致させることだ。職人や技術者の知恵と技を高く評価する社会も望ましい。
8、大学の数が減り、大学生の数が減れば、学生ひとり当たりにかけられるカネが増えるというのが、基本的な考えだ。
9、大学入学がゴールではないから、大学の授業も厳しくなる。その成績によっては、進級が難しくなると同時に、奨学金の打ち切りもあり得る。大学の広告塔を勤める運動部員も、勉強しないと退学になる。