1873話 自動車の話 上

 

 モータージャーナリストの三本和彦(みつもと・かずひこ 1931~2022)が亡くなった。私がその存在を初めて知ったのは、彼が司会をしている「新車情報」(1977~2005)というテレビ神奈川の番組だったことは確かだが、自動車にほとんど興味がなく、しかもUHF局の番組をどうやって見ていたのか記憶にないのだが、いつのころからかこの番組を見ていた。見続けた理由は、企業べったりの広告番組ではなく、制限は当然あるものの、言いたいことはいうという番組方針で、フェラーリジャガーだと高額車を紹介する「カーグラフィック」とは違う構成を楽しんでいたのかもしれない。

 番組内容で覚えていることは多いのだが、ひとつだけ書いておく。

 ある日、三本が新車試乗会に行った。試乗するとすぐ、「今度のクルマ、どうですか?」と、自動車会社の広報担当者が三本に聞いた。

 「いや、予想していた以上にすばらしいです。全体的に、すばらしい出来だと思いますよ」といった。賛辞だから、担当者は大喜びをすると思ったら、うつむいている。

 「どうしたんですか? なにか、まずいこと言いました?」

 「いやあ・・・、自動車評論家が絶賛すると、その車はまず売れないんです。だから、困ったなあと・・・」

 私の頭に浮かんだのは、「シネマ旬報」の映画評だ。常連の映画評論家が高く評価した映画はまずヒットしない。映画の世界でも、映画界とうまくつきあって「うまく楽しく紹介できる人」は高収入を得られるが、自分の評価をそのまま発表すると関連企業に睨まれるから貧乏なままだ。

 私自身のことも思い出した。アジア文庫店主大野さんのことば。

 「前川さんが絶賛する本て、売れないんですよねえ、困ったことに」

 三本と同じ時代に自動車評論家をしていた徳大寺有恒(1939~2014)の発言も覚えている。

 深夜番組だったことは覚えている。局も番組名も覚えていないが、1991年か92年だということはわかる。深夜の番組で、新車を特集する放送をやったのだ。進行役が徳大寺だった。なぜ91年か92年だと覚えているかというと、ホンダ・ビートやスズキ・カプチーノといった軽のスポーツカーを特集したからだ。この2車種について、徳大寺は「都内をのんびり走るにはもってこいの車だと思いますよ。都内の道は狭いしスピードは出せないし・・・。だから、こういう小さい車でドライブなんて楽しいですよね」

 それから数か月後にも同じような番組があった。徳大寺は番組のご隠居という立場だった。ゲストのイタリア人だったかフランス人だったかの元レーシングドライバーに、日本の新車を試乗してもらい、感想を聞くという構成だ。用意された車にカプチーノも入っていた。

 元レーシングドライバーはそれぞれの車の感想を語ったが、カプチーノには触れなかった。そこで、司会者が「カプチーノは、どうでした?」と聞いた。

 「ウチの娘が乗るにはいいかもしれませんが、私向きじゃありませんね」

 司会者は徳大寺にも同じ質問をすると、「ダメだよ、あんなオモチャ! 話にならない」と吐き捨てた。

 書評家は、自分で本を買って評論することが可能だが、自動車ジャーナリストは自費で車を買って評論するわけにはいかないから、自動車会社や輸入業者とうまくつきあっていかないといけない。「提灯持ち」に徹すると、読者の信頼を失い、言いたいことを言って批判すると、企業に疎まれる。

 売れっ子の映画評論家だった時代のおすぎは、新作のフランス映画を紹介してほしいという輸入業者の依頼で、「日本ではもう試写会はないので、ニースに行っていただけませんか」ということで、映画を1本見るためにフランス招待旅行に出かけたと語っていた。また、ある映画を徹底的に批判したら、それ以後その会社が輸入する映画の試写を見ることはできなくなったという。

 業者との距離はむずかしいものだ。