10代20代の私は、無知ゆえに教条的で、旅行ではなく「旅」という言葉にそそられるところがあり、「放浪」という言葉にもっと魅かれるところがあった。ひとり旅が好きで団体旅行が嫌いというのは、思想的なものではなく、ただ単に誰かと歩調を合わせて行動するのが苦手だからに過ぎないのだが、そこになにか理屈をつけたいという考えもあったかもしれない。
30を過ぎて、心身ともに丸くなったせいか、旅行でも旅でも、どっちでもいいさと思うようになった。違いは語感、座りの良さだ。「ひとり旅」、「団体旅行」はすっきりするが、「ひとり旅行」はまだしも「団体旅」は座りが悪い。「旅はどうあらねばならない」と言った論議も興味がない。「旅は学びだ」と考える人がいるのはいいが、それを全人類に当てはめないでほしいと思う。旅の意味など、人それぞれでいいのだ。「いい旅」とは、旅をした人それぞれの価値観で判断するもので、冒険旅行がいい旅で、ホテルのプールサイドで本を読んでいるだけの旅がつまらない旅だと、他人が判断することではない。
そういう私でも、いままで他人の旅に言及したことはある。旅の目的を、「異文化体験」とか「自分探し」だとするなら、できればひとり旅が適しているし、カタコト以上の外国語会話力、最低でも英語での会話ができるだけの力を備えておいた方がいいといったことを書いたことがあるし、大学生にしゃべったこともある。しかし、旅する人全員がそうあるべきだと思っているわけではない。人それぞれに、好きなように旅すればいいのだ。
旅行の仕方に関して、宮本常一や観文研の影響は全く受けていないと思っていたが、『宮本常一の旅学』で、宮本の父善十郎の考えを紹介している記述に付箋を貼った。
常一が16歳で進学のため山口から大阪に出るとき、父は息子に旅の心得ともいえる十カ条を申し渡したという。そのポイントを、いくつか書いてみよう。
●汽車に乗ったら、窓の外を見よ。畑の作物を見て、家を見て、屋根を見よ。
●駅に着いたら、人々の服装に注目せよ・・村でも町でも、かならず高いところに登れ。村や町の詳細を観察せよ。
●時間の余裕があれば、できるだけ歩け。
この記述になぜ付箋を貼ったかというと、これが私の旅でもあるからだ。森の木々を観察する基礎学力はないが、畑なら外国でも多少はわかる。見慣れない作物を見つけ、「さて?」と考えて、「あ、そうかタバコか!」。50センチ以上のタケのあるタカナを見つけたのも、北タイのメコン川沿いの畑だった。田の作り方や農機具を眺めたりもする。農作業の時の服装も見るのも楽しい。
町ではかならず、人々の服装も履物も、なんでもよく見る。市場も食堂にも行き、食材と料理も見て、食べるが、人々の食べ方もよく観察している。もちろん、町をよく歩いている。
私の旅の仕方は、誰か指導されたものではなく、私が楽しいと思うように行動しているだけだ。「こういう旅の仕方が正しいから、皆も見習いなさい」などと言う気は、まったくない。私の旅は誰かに依頼された「調査」ではなく、ただの遊びである。街を歩き、人を眺め、誰かと話し、資料を読むのが好きだというだけのことだ。だから、旅はこうあるべきだという主張は苦手なのだ。「旅学」というものが、望ましい旅の形を規定するのなら、そういうものに、私は興味がない。