1879話 観光学・旅行学・旅学 その5(最終回)

 

 日本の大学で観光学を教えるようになるのは、1963年に東洋大学短期大学部観光学科が最初だ。これは、現在、東洋大学国際観光学部国際観光学科になっている。4年制の大学では、1967年に立教大学社会学部観光学科が最初である。その資金は、箱根富士屋ホテルが出したという。

 最近、全国の大学では「観光学科」とか「ホスピタリティー学科」などを設けて学生を集めようとしているようだ。旅行会社、航空会社やテーマパーク、リゾートホテルなどへの就職を希望しての入学なのだろうと想像したのだが、立教の場合はちょっと違うのだと、観光学部の教授が言う。

 「ウチの場合、広い意味の観光関連企業に就職するのは、まあ3割といったところです。観光業務の実用知識を求めて観光学部を志望する学生は、そんなものです」

 たぶん、短大の場合と就職事情はかなり違うのだろう。

 立教大学社会学部観光学科は、1998年に観光学部となる。その時のいきさつも教授が教えてくれた。

 「『観光』という呼称にひっかかるものがあるということで、『旅行学部』にしようという意見も出たんですが、最終的には観光学部になりました」

 私は旅は大好きだが、いわゆる観光地にはほとんど出かけないから、「旅行=観光」という公式で私の旅を定義されたくない。だから、「観光学」というものになじめなかった。私は、旅行というものを、移動とほとんど同義語だと解釈している。会社の出張であれ、移動していれば何かを体験する。通学でも出勤でも、移動していると何かが起こる。永六輔風に言えば、「横丁の角を曲がっても、旅です」ということになる。あるいは、20世紀のユダヤ人の大移動やパレスチナ人の移動も、旅行だと考えた方がいい。巡礼も、もちろん旅行だ。旅行に優劣をつけず、詳しく厳しい定義などせず、「移動すれば、旅」程度に考えている私には、「旅行=観光」とは考えにくい。しかし、カネが儲かる旅を「観光」としたいと業者や関連団体は考えているようだ。

 旅行を観光学の研究分野だとしたことで、こぼれ落ちた事柄はじつに多い。難民や移住者の放浪を持ち出さなくても、バックパッカーの行動も把握できない。バックパッカーは観光をしないというわけではないが、観光地を巡って何年も旅をしているわけではない。ある場所にしばらく定住するという行動も、観光学ではとらえにくい。私の関心分野では、観光学の最大の欠陥は、旅行史を無視していることだ。

 「観光の最初は、トーマス・クックの団体旅行で・・・・」といった記述はあるが深くはない。日本交通公社出版事業部が1982年から83年にかけて出版した10巻本『人はなぜ旅をするのか』は、第1巻が『馬蹄とどろく“王の道”』、第10巻は『戦争と平和。そして未来』。旅行が大衆化した20世紀の記述が少ないのが難点だ。

 旅行の近現代史を知りたい。若者の旅行史を調べたくなった。誰の資金的援助もなく、組織の枠を出た個人の旅で、だから詳細な計画などなく、思うままに旅する人達の歴史を調べたい。団体旅行の歴史は、旅行社や交通機関が押さえているだろうが、資料として残りにくい個人の旅行史を調べておこうと思った。大学で講師をやっていたころは、旅行史を中心にしゃべっていた。

 解説は一切なしに、若者の個人旅行史のメモを書いておこう。ひとりくらい、興味のある人がいるかもしれないからだ。

 若者の旅の黎明期はイギリスのボーイスカウトから始まり、その影響を受けたドイツで、ワンダーフォーゲル運動が始まる。それとは関係なく、ユースホステル運動もドイツで始まる。20世紀初めのことだ。パリでは「ボヘミアン」などがもてはやされ、ジプシー音楽お注目され、「放浪」や「自由」が魅力的なものとされる。

 その流れはアメリカに伝わり、ビートが生まれる。中心となるのは、ユダヤ人や同性愛者で、反キリスト教的であり、反政府、反権力という傾向がある。それとは別に、ヘンリー・デイビッド・ソローの著書『ウォールデン 森の生活』などで示した自然賛美と市民運動は、のちのヒッピーに影響を与え、バックパッカーと呼ばれる人たちが1970年代に登場する・・・・。

 こういう大筋を補強するために、ドイツの若者の行動やアメリカのトレイルなど、勉強しなければいけないことが多く、それは楽しいことではあるが、基礎学力が大きく欠ける私には、いままでまったく興味がなかったドイツ近現代史の専門書を読むのはつらい。いや、勉強がつらいというのは、大したことではないが、世間の多くの人は、旅行史というものにほとんど興味がないのだ。私の勉強に関して、ある旅行ライターは「そういうことって、何がおもしろいの?」と聞いた。若者がなぜ旅に出たのか、いかにして旅に出たのかという近現代史を、「つまんない」と旅行ライターに言われてしまうと、黙るしかない。旅行ライターの仕事はエッセイかガイドがその守備範囲で、旅行研究など誰も興味がないのだ。

 だから、ここでも詳しい解説なしに、旅行の近現代史の大筋を書いた。