1833話 旅と依存症

 

 医学者と依存症の話をした。講義を受けたとか対談したというようなものではなく、立ち話程度のものだ。

 依存症といえば、薬物やアルコールやニコチンなどがすぐに思い浮かぶが、「これなしではいられない」というものはほかにもあるよなと思った。だから、聞いておきたくなったのだ。食料とか水など、「必要が当たり前」というもの以外に、依存する物はいくらでもある。日本人にとって、コメと醤油は依存度が高いのではないか。コメも醤油もなくても平気だよという日本人でも、それが1か月とか2か月だと、発狂する人も出てくるのではないか。外国の刑務所に入れられるといった状況を考えないと、長期間コメと醤油なしの食生活は多くの日本人には考えられないものだろう。これは、依存症なのだろうかと医学者に質問した。

 「依存症じゃありません。だって、コメや醤油が害にはならないでしょ」

 塩も砂糖もコメもコムギも、一度に大量に食べればそれなりの害はあるが、長期間食べ続けても害はない。

 現在は、「探検冒険」といった旅をしなければ、世界各地で日本食や中国食の材料は見つかるが、昔は大都市でもコメが手に入らないことがあった。日本航空の社員で作家だった深田祐介は、1960年代の海外駐在員が帰国する飛行機の中で、「日本に着いたら、洗面器一杯の醤油を飲みたい。そういう気持ちです」と語ったと書いている。当時のアフリカや共産圏では、そういう日本人がいても、「わかるなあ」と共感されただろう。

 さて、現在の若い旅行者ならどうか。若い世代の食生活は変わったと言われるが、昔の旅行者と比べると、日本食渇望期間が多少伸びたという程度ではないか。

 今は、世界のかなりの土地でインスタントラーメンや醤油などが手に入るから、高額な日本料理店には行けなくても、宿の台所で簡単な日本食を作ることはできる。ヨーロッパのゲストハウスだと各種調理器具を備えているところもあるから、日本食依存症に苦しむ旅行者はそれほどいないのではないか。旅している場所にもよるが、「渇望する食べ物」が、狭義の日本料理ではなく、今ではカレーやラーメン、ハンバーガー、牛飯という人も少なくないだろう。

 私自身の「依存する物」は何か。薬物には手を出していないから、問題はない。酒は一切飲まないから、酒のない土地で暮らすことにまったく問題はない。タバコもやめたから、禁煙国があっても苦にならない。コメと醤油は好きだが、半年や1年くらいなら、なくても我慢できる。ただし、私が「まとも」と判断できる飯はあるという前提の話だ。つまり、スペインで、普通のスペイン人が日常食べている食事ができるなら、日本食はなくても我慢できるという意味だ。日本食が嫌いというわけではないから、あくまで「我慢ができる」という話だ。

 それで、旅先で「これがないとつらいなあ、依存症かな」と思うのは、カフェインだ。各種の茶かコーヒーがない生活はつらい。

 というわけで、旅先の日常で、「これがないと、つらい」という最上位のものは、私の場合はカフェイン飲料なのだが、日本人に限らずすべての旅行者にとって、欠如がもっとも恐ろしいものは、何だろうと考えて、結論はすぐに出た。

 それは、スマホだ。私はスマホを持っていないから、スマホなしの生活を何とも思っていないが、現在の、世界の、主に都市住民にとってスマホは、酒や麻薬以上に依存しているものだ。医学者は「害がなければ、依存症ではない」と言ったが、スマホは明らかに依存すると害がある。どこを旅行をするかを、スマホの使用事情によって決めるというのは、物価や治安と並ぶ重要条件かもしれない、私には関係ないが。