1885話 昔々のタイ語学習 その1

 

 タイの小説の翻訳や、タイの象に関する雑学事典のような『タイの象』を書いた桜田育夫さんに、「なぜタイ語を勉強しようと思ったんですか?」と聞いたことがある。大学で英語やフランス語を専攻しても、「なぜ?」とは聞かれないが、タイ語だと理由を聞きたくなる。今なら、「タイが好きだから」で、説明は済むだろうが、桜田さんがタイ語を学んだのは戦後間もなくのことだから、何か理由があるのか知りたくなったのだ。

 ここから桜田さんの話に入る前に、「タイ語を話す外国人」の話をちょっと書いておいた方がいいだろう。

 外国人が多少でもタイ語を話すと、「おお、えらい」とほめる。今のバンコクなら、多少のタイ語を話す外国人などいくらでもいるから、感心されるということはないが、田舎に行くと、「ええ、タイ語しゃべるの?」と驚かれることがある。そして、そのあとのセリフは決まっている。

 「そうか、タイ人の恋人がいるんだ」

 タイ語は難しい言葉だとタイ人は思っている。その難しい言語を多少なりともしゃべるということは、タイ人と深い関係になっているはずだという確信がある。外国人の男に対しては、そう認識している。タイ人のもうひとつの認識あるいは確信は、「タイの女はやさしく魅力的だ」ということだ。だから、外国の男が夢中になるのは当たり前だと確信している。

 上で「恋人」と翻訳した語は、タイ語では「フェーン」という。辞書では、英語のfanが語源だという。阪神ファンの「ファン」だ。Fanには隠語や軍隊用語で「恋人」というような意味があるのかとアメリカ人に聞いたが、「ないよ」という。このフェーンというタイ語は、タイ社会を知るキーワードのひとつだ。ここでは仮に「恋人」と訳したが、夫婦間でも使う。「妻」「夫」というタイ語はあるが、配偶者を「私のフェーンが・・・」というような使い方もする。つまり、法律的にどうかなんてことは大した問題じゃないということで、正確に訳せば「愛する人」といった意味になる。

 1990年代以降、タイにタイ語学校が増えたから、タイ人の恋人がいなくてもタイ語ができる人が増えているし、本腰を入れて学び、読み書き話すことに長じた人も少なくない。私が聞いた範囲の話で言えば、日本人女性の場合はこうだという。日本で会社員生活をしていたが、満足できない。日本の社会がいやだ、外国に行きたいと思うが、欧米は性に合わないか金銭的に難しいという判断で、ビザが取りやすいタイに来た。タイの何かに強い興味があって滞在を決めたわけではないが、決まった生活をしないと不安なので、タイ語学校に通うことにする。入学手続きをすれば、日々のスケジュールは学校が決めてくれる。小学生時代から猛勉強に慣れているから、タイ語力はめきめき上昇する。

 しかし、そこに大きな問題がある。もともとタイには興味がないから、タイの歴史や社会などを学ぶ気がない。タイ語で言いたい事、知りたい事があるわけではない。目的があってタイ語を学んだわけではないので、覚えたタイ語の使い道がない。こういうのを、私は「無駄な語学力」と呼んでいる。

 不幸にも、私にはフェーンはいなかったから、タイ語を教えてもらうチャンスはなかった。タイ在住日本人の友人の家で話をしていると、「これ、どういう意味だって」とか「今、テレビのニュースはなんといってたの?」と、友人がタイ人の妻に聞くことがある。友人はタイ語はかなりできるが、難しい表現などわからないことがいくらでもある。夫の質問に、妻は素早く答える。

 「いいなあ、便利な辞書が自宅にいて」というと、「この辞書、けっこうカネがかかるんだ」

 幸か不幸か、タイの友人知人たちは、かなり英語ができて、通訳のアルバイトをしている人もいた。日本語ができる人もいて、情報収集は助かったのだが、タイ語はいっこうに上達しなかった。タイ語学校に行ったが、熱帯のタイでは蛍雪之功などなく、一意専心も不眠不休でタイ語学習に励むということはなく、帰国すればすぐに忘れた。三歩進んで二歩下がるうちに、一歩も進まずに二歩下がるようになるのである。

 タイ語の教科書が続々と出版されるのは、2000年代になってからだろうか。もうその頃になると、「タイ語の勉強をしている」と友人に言っても変人扱いはされなくなる。「なぜタイ語?」と聞かれることも少なくなったが、桜田育夫さんの時代は違った。