読書 18 トイレと台所1
最近、建築の本はあまり買わないし、読み返したりしないから、いっそのこと全部古本屋に売ろうかと考えていたのだが、こうして建築のコラムを書いていると、「建築」の棚の前に腰を下ろして、かつて読んだ本を取り出して品定めをしたくなる。『バンコクの容姿』(講談社、1998、のちに『タイ様式』と改題し、講談社文庫として200年に出版)という建築の本を書くにあたって、タイの建築関係の本をいろいろ読んだが、必携の資料というものには出会えなかった。音楽と違って、タイの建築資料は日本語でも英語でもいくらでもあるのだが、「これだ!」と歓喜するような本には出合っていない。
1冊まるごとタイの住宅について書いた研究書『タイの住まい』(田中麻里、園津喜屋、2006)を読んのは、私がタイの建築の本を出してからだが、台所と上下水道に関するまとまった記述がないので拍子抜けしたのを覚えている。体に入れる話と出す話をきちんと書いておかないと、生活の場所の本はできない。タイの田舎の家は、排水設備などないのにトイレは水洗だ。だから、便器の下はどうなってるのか調べたのが拙著『バンコクの容姿』なのだが、その本は『タイの住まい』というタイトルでありながら、生活感がない。食べる話と出す話を書かない「住まいの本」は意味がない。
『東南アジアの日常茶飯』(弘文堂、1988)は、食文化の本にトイレの考察を加えたことで、「クソとミソを一緒にして」と一部では評判が悪かったのだが、今思えば、先見の明があったと思う。着眼点が良かったのだ。まあ、それは偶然のことなのだが。あの本では、畑や田んぼや海や川から市場、台所(調理場)、食卓、そしてそれらの食べ物が出ていく場所までひとまとめにして論じてみたいと思ったから、そういう構成にしたのだが、食べる話と出す話はいっしょにしてよかったと、やはり思う。
タイ人は川のそばに住んだ。川は生活用水を得る場であり、交通路であり、魚や水辺の植物を取る場所でもある。中部タイでは、川沿いの村を「バーン」という。バーンコーク(バンコク)のバーンだ。北部タイでは川辺の村を「メ―」という。メーホンソーン、メーソット、メーサイなどその例はいくらでもある。
川辺に住んでいるから、川は食材庫であると同時に、浴場であり、洗濯場であり、トイレになる。歴史を振り返れば、タイ人の家にトイレはなかったのだ。農山村に行けば、今でもトイレのない住宅がある。
タイのトイレに関する日本語の資料はわずかしかない。『アジアの厠考』(大野盛雄・小島麗逸編、勁草書房、1994)という名著がある。アマゾンで安く買えるから、アジア人の生活に興味がある人はぜひ購入を。この本は、おもにアジア経済研究所の研究員たちが文書資料とフィールドワーク体験から、それぞれなじみの地域のトイレ事情を書いている。現在の紹介だけでなく、歴史的経緯を中心に書いているので、類書無しだ。
タイのトイレに関しては、末廣昭さんが古い文書をあたって、バンコクの「野グソ禁止令」について書いている。1875年の法律で、野グソをすると役人の月給くらいの罰金が科せられるというものだが、どれだけの実効があったのかわからない。おそらく、衛生的な都市を宣言しただけだろう。1875年ごろのバンコクなら、ほとんどの人は川沿いに住んでいたはずで、街のその辺でしゃがみ込んだのは中国人か?
タイの農村でも、川辺からちょっと離れたところに住んでいる人もいて、トイレをつくる例があるという話を重冨真一さんが書いている。穴を掘っただけのもので、土に浸透させる方式で、一杯になったら、別の場所に作る。バンコクの住宅でも同様だが、井戸のようにコンクリート製の輪を重ねて崩れるのを防いだ穴が便器の下にあり、水分は土中に沁みこませ、固形物は時に応じて汲み取りをするという話は、『タイの容姿』に図入りで書いた。
トイレ関連の話は読書ノートとしてもすでにかなり書いてきたので、今回は触れない。詳しく知りたい人は、この雑語林の欄の右側にある「検索」に「トイレ」といれて調べれば、数多くのコラムと関連図書が登場する。