2080話 続・経年変化 その44

読書 20 ことばの本1

 小学生時代に国語辞典を持っていたかどうか記憶にない。中学高校時代には、国語辞典のほか、漢和辞典や古語辞典を持っていなかったということはないはずだが、その記憶がない。英語辞典にしても同様で、「辞書がボロボロになるまで引きまくった」という勉強家ではないから、辞書の記憶がすっぽり抜け落ちている。

 ライターになってからは、当然辞書類は使っていたはずだが、これまた記憶がない。漢字を読む能力は日本人の平均よりは上だと思うが、書く能力となると、平均よりもだいぶ劣る。動植物名や難読漢字もある程度は読めるから、「漢字が苦手」というわけではないが、書けないのだ。これは英語でも同じで、必要になれば英語の新聞や本も読むが、書くとなると、まるでダメだ。英語の文章が書けないという以前に、綴りを覚えていないのだ。あまりにもひどいので、これはある種の障害かもしれないと思うほど、書けないのだ。

 ライターになったのだから、遅ればせながら日本語を基礎から学ぼうと決意したのは1988年だった。なぜそれを覚えているかというと、そのとき買ったのが、出たばかりの『大辞林』(三省堂)だったからだ。『広辞苑』は保守本流のような気がして、避けたのだ。私にしては大金を投じて買ったのだが、じつはあまり使っていない。重く大きなこの辞書を書棚に入れたが、取り出すのがめんどうで、「まあ、いいか」と小型の辞書で間に合わせているうちに、『大辞林』の前に本を積み重ねるようになって、辞書を取り出すのがめんどうになり今日に至っている。ただひとつ、この辞書が残した成果は、このコラム「アジア雑語林」の元になった名だということだけだ。

 1980年代末からバンコクで長期滞在を繰り返すようになり、「使い倒す」辞書ができた。講談社学術文庫『国語辞典』『英和辞典』だ。タイで原稿を書くこともあったので、文庫版の『国語辞典』を持って行ったのだが、原稿は日本で仕上げるので、「荷物になるから、まあいいか」と、すぐに『国語辞典』は日本に置いておくことにして、タイで使うのは『英語辞典』だけにした。当時、持ち運びに便利なタイ語・日本語辞典はまだなかった。バンコクでは毎朝英語新聞を読んでいたから、この辞書は補修が必要なほど使い倒した。その当時だって、当然電子辞書は出ていたはずだが、紙の辞書を選んだのは、安く手軽だったからだろう。いい電子辞書を買えば、日本語も英語も深く調べることができるのだが、いいものは非常に高価だった。

 2000年代に入り、ほとんど日本で生活をするようになって、文庫版辞書はあまり使わなくなった。その理由は、字が小さすぎるからだ。そこで『新明解国語辞典』(三省堂)などを買ってみたのだが、もっと文字が大きい辞書が欲しくなり、ついに電子辞書を買った。パソコンの時代になっても手元に電子辞書を置いているのは、パソコンの電源が入っていないときは、電子辞書の方が手早いからだ。そういう場合を除いて、ことばを調べるのは、パソコンが多くなった。

「パソコンで調べると、本当に便利だなあ」と思うことは多いが、例えば英語の歌詞の意味を調べるときだ。ジャズのスタンダードナンバーに、”I get kick out of you”という歌がある。すべての単語は中学1年生レベルだろうが、その意味を理解するのは難しい。「キミは、(コカインよりも)ずっとぞくぞくするぜ」という意味だ。ジュリー・ロンドンを大好きになるきっかけとなった曲、“Cry me a river”も易しい4つの単語が並んでいるが、意味はわかりにくい。「アタシを振ったあんたを後悔させて、川ほどの涙を流させてやる」というニュアンスだ。こういうことは、紙や電子辞書ではわからない。

 冨田先生の『タイ日辞典』の話は何度もしているので、ここでは書かない。持ち運ぶには重すぎる辞書なので、タイでは、書店で買ったタイ語・英語辞典を使てみたが、大して役には立たなかった。