2100話 続・経年変化 その64

食べ物 9 外食

 20代から40代は外国に行くことが多く、日本にいても取材や打ち合わせや散歩で外出する機会が多く、したがって外食する機会もあったのだが、昼食はどこかで食べても、夕方になると帰宅途中にスーパーに寄って食材を買い、自宅で料理していた。その習慣は、今も変わらない。

 旅行中はもちろん毎日外食生活だ。外国で料理をしたことはほとんどない。日本では極力自分が作ったものを食べている。その理由は、その方が安いということもあるが、自分で作ればその日に食べたいものを、好きな味で好きなだけ食べられるのだから、自宅で食べた方がいい。外国の料理は自分では作れないから、自炊せずに外食する。新しい料理に出会える機会だからだ。いままで外国で料理をしたことは、おそらく5回あるかどうかだ。

 「うまいものを食いたい」という欲望は、さほど強くない。グルメ番組に興味はない。人気店の前で長時間並んで順番を待つ気はないし、ある料理を食べるためにわざわざ出かけることもない。散歩のきっかけとして、「ああ、あれを食おうか」ということはあっても、食べることが目的にはならない。この話、詳しく書くと長くなりそうなので、ここまでとする。

 旅先の朝食は、ヨーロッパがいい。朝食はコーヒーとパンが欲しい。コーヒーのない場所でも、紅茶が欲しい。午前中にコメの飯を口にする習慣がないので、東南アジアでは困るのだ。カフェが増えていても、宿のすぐ近くで朝食を食べたいのだ。

 ごく普通の旅をしている人なら、「ホテルで朝ご飯をたべればいいじゃない。ブッフェ(ビュッフェ)なら、好きなものを好きなだけ食べられるじゃないか」というだろう。私が泊るような安宿を、団体旅行客が利用するホテルと同じだと思われても困る。

 ここで、ちょっと雑談。地方に住んでいる友人が、久しぶりに出張で上京した。昼には飛行機に乗るから、朝飯をいっしょに食おうということになって、早起きして友人が泊っているホテルに行った。その高級ホテルの朝食が4500円だったので、「ばかばかしいから、外の喫茶店でモーニングにしようぜ」と提案した。

 ホテルの朝食は高いというイメージがあったが、イタリアやチェコの安宿には「朝食付き」というところもある。プラハの宿は、1階がレストランで2階が客室だった。ドミトリーもある安宿なのだが、朝食は下のレストランで好きなだけ食べられた。コーヒーのお替りが自由というのはうれしい。

 マドリッドの安宿は朝食付きではなかったが、近所のパン屋に毎朝通った。その店の地下がパン工場で、1階がパン屋とカウンター席、2階にテーブル席があった。朝起きると、このパン屋に行き、その日の気分でパンを選び、薄いコーヒーで朝食とした。こういう時間は、宿のすぐ近くに早朝から営業するカフェがないと、アジアでは難しい。台北では毎朝マクドナルドに通っていた。朝の早い時間にコーヒーを飲むことができるのはそこだけで、うれしいことに朝食限定でイングリッシュマフィンがあった。ハンバーガーのパンは柔らかすぎて好きになれないのだが、イングリッシュマフィンは好きだ。モロッコの、クロワッサンの朝食もうれしい。

 モロッコカサブランカのカフェのガラスに、朝食のお知らせがあった。フランス語だった。記憶で書くと、「朝食A クロワッサン コーヒー」、「朝食B クロワッサン、ジュース、コーヒー」だったような気がする。そうだ。タンジェの宿は朝飯付きだった。ここも階下がレストランで、宿泊客は無料で朝飯を食えた。そのメニューと料理の写真が、1121話に載せた。飲み物はカフェオレかミントティーを選ぶ(写真ではポットにミントティーが入っている)。Harchaというのはモロッコのパン。Petit painはプチパン(小型のパン)だが、最後の行にもLe pain(パン)とあって、これがクロワッサンだった。Sadi Aliは瓶詰の水。オムレツに入っているviande secheeは、辞書の意味は干し肉だが、さてどんな肉だったか記憶にない。イスラム地域だから、ブタのベーコンではない。

 晴れてはいるが暑くはない朝に、のんびりと朝ご飯を食べている時間が好きだ。日本では新聞を読みながら食べているが、旅先だと前日の日記を書いていたりする。日本にいても外国でも、朝食の時間が好きだ。もしかすると、一日のうちでもっとも好きなのは朝食の時間かもしれない。これが、中年以降の経年変化だ。