食べ物 13 なくてもいいもの
食べ物の好き嫌いはあるが、どうにも食べられない、どんな義理があっても「ごめんなさい」と謝って食べない料理はなんだろう。パクチーのようにハーブ類では口にしたくないものは多いが、料理としてはどうだ。食べたくないが、食べられないわけじゃないという食べ物はいくつかある。食物アレルギーはないから、「これを食ったら、死ぬ」という特定の食べ物はない(ようだ)。
沖縄のヤギ汁のように、沖縄住民でさえ嫌いな人が少なくないといった食べ物ではなく、日本人の、特に首都圏在住者が普段食べているもので、どうにも食べられないという食べ物は、フキノトウの料理だ。どう料理しても、食べられない。フキの葉や茎は、我慢すれば食べられる。知人の家に招待されたとき、フキの煮物を出されて、一瞬息を飲んだが、平然を装って食べた。それなのに、フキの佃煮であるきゃらぶきは、好きだからときどき買っている。佃煮にすれば、臭気は消える。あのパクチーだって、加熱すれば食べられる。
菓子部門なら大嫌いなものはいくらでもある。まず、八つ橋が嫌いだ。シナモンが嫌いということもあるが、瓦煎餅のような小麦粉の甘い煎餅が嫌いだからでもある。
あの人も、大嫌いだとわかった。
某有名作家の京都旅行記の原稿がおもしろいと担当編集者との雑談で知っていたのだが、発売された雑誌にはこうあった。「八つ橋なんか好きな者はいるのか。いるなら一歩前に出ろ!」(この文体で誰だかわかるでしょ)。雑誌発売直後から、編集部に京都から抗議の電話が鳴り続け、単行本ではその部分は削除されている。八つ橋はまだなくならないのだから、一定のファンが確実に存在するということだ。東日本の人間は南部せんべいを除くと、小麦粉が原料のせんべい類やおかきはあまり好きになれないのだが、関西の知人によれば、東日本の人間が好きなせんべい(草加せんべいのようなうるち米が原料のもの)は、関西ではあまり食べられていないという。
コメの粉を使ったものでも、甘い煎餅は苦手だ。ザラメをかけたものや、抹茶や砂糖で覆った煎餅も苦手だ。甘い煎餅やあられが苦手なのだ。この類は、この世から消えてもいっこうに困らない。和菓子だと苦手なものがいくつもあるが、洋菓子だと「これはもう、どうにもいやだ」というものは少ない。自分では絶対に買わないということなら、ゴーフルや甘食やメロンパンなどがある。体験例は少ないが、総じて外国で買った箱詰め菓子類はどれもうまくないという傾向はある。そう思いません?
大嫌いというわけではないが、食べる気がしないとか、カネを出してまで食べる気がしないという料理はいくらでもある。広く食べられている料理で言えば、ハンバーグやハンバーガーがある。ひき肉料理は、ソーセージはもちろん餃子や肉まんや焼売などは大好きだが、ハンバーグも、ひき肉を使ったキーマカレーやコフタは好きになれない。ハンバーグは一生食べなくても、後悔はしない。そもそも、この人生で数回しか食べていないと思う。うまいと思ったことはたった1回。アメリカの家庭で、炭火であぶったひき肉団子を食べたときだけだ。
ラーメンは特に好きでも嫌いでもないが、揃いのTシャツにバンダナという店員がいるラーメン屋には、入る気がしない。煮干し臭かったり、背脂が麺を覆っているラーメンなどは食べたくない。麺がのびることを気にかけないカニラーメンも嫌いだ。墨汁の海に沈んでいるような、関東のそばとうどんも苦手だ。そばはもり、うどんは讃岐に決めている。
ぬたも、苦手だ。味噌と酢と砂糖という組み合わせがいやだ。味噌とニンニクと豆板醤などを入れたタレで和えた料理は時々作る。タコときゅうりの酢の物やワカメとカニカマの酢の物などはよく作るから、やはり砂糖がいけないのだ。
こういう文章を書くと、「好き嫌いが激しい」と誤解されそうだが、あくまで「食べられないわけじゃないが、できれば食べたくない」という意味だ。以上のような好き嫌いに、経年変化はない。しいて言えば、酢の物を食べる頻度が昔に比べて増えたことくらいか。
あっ、今気がついた。私が嫌いな料理は、プラスチックの食器を使った学食・社員食堂・病院食・寮などの団体食だ。そういう料理は、プラスチックの食器が嫌だというだけじゃなく、料理そのものが味気なくて嫌だ。おそらく万人向けの料理が好きじゃないのだろう。だから、できるだけ自分で作りたいと思うのだ。