2105話 続・経年変化 その69(最終回)

食べ物 14 なくなったもの

 私個人の体験ではなく、私と同世代以上の日本人の体験として、「昔は食べたが、今はさっぱり・・・」というものを想像してみたくなった。

 こういう話になると、たいていクジラがまっさきに取り上げられるが、食文化研究者もほとんど取り上げないものがある。クジラ以上に口にしなくなったものがある。それは、冷や飯だ。1960年代のある夜、単身赴任先から一時帰宅していた父が、食事中に突然大声を上げたことがあった。「オレが、何か悪いことをしたか。毎日ちゃんと働ていて、なんで冷や飯を食わされるんだ!!」

 冷や飯食いは、冷遇されているという意味だ。刑務所の飯という意味合いもある。軍隊では暖かい飯を食い、戦後は建設現場で働いてきたから、三食飯場で食べて来た。それなのに、自宅で冷えた飯を食わされるとはなんだという理屈だ。母は母なりの都合というものがあり、子供たちが弁当を持って行かないことになったというようなことで、朝炊いた飯を夜にも食べなくてはいけないということもある。子供たちはそういう事情を理解していたわけではないが、冷えたご飯を食べるのはいつものことだから、特にどうとは思わなかった。しかし、父は、冷や飯は冷遇に感じたのだ。

 1950年代に電気炊飯器が登場し、60年代には保温機能がついた炊飯器も発売された。しかし、多くの一般家庭では電気釜で飯を炊き、おひつか保温ジャーに移すという作業をしていた。保温ジャーに移しても、飯は黄変し臭くなった。今の若者なら「ご飯は冷凍して、電子レンジで温めればいいじゃない」などと言うだろうが、冷凍冷蔵庫も電子レンジもなかった時代があったと想像できるだろうか。

 父のことを考えた母は、冷めた飯は蒸し器で加熱することもあったが、腹減らしのガキである私にも、味の劣化はよくわかった。

 焼くと塩を吹く昔の鮭の話はすでに書いたが、その姿を思い浮かべるだけでツバが出る梅干しも消えた。表面に塩がにじみ出ているとか、顔をしかめずには食べられない酸っぱさの梅干しはほぼ消えた。今の若者だと、梅干しを見てツバがジワーと湧いてくるというような条件反射はないのだろう。塩を多く入れたのは長期間保存するためだ。「健康のため、塩分を減らせ」という風潮の中で、保存食の塩分がどんどん減っていった。しかし、長期保存を考えると、塩や砂糖の使用量を限度以下に減らすことができない。そこで、各種合成保存料を加えることになった。それが問題だよなと考える人たちが、レトルトパックや冷凍食品の開発を考えた。

 干物は、棒鱈のように冷蔵庫にいれなくても保存できるほど乾燥させたものは少なくなった。昔は干物と缶詰は常備食だった。当時、缶詰といえばサバの水煮で、ツナ缶が登場するまではサバ缶が王者だった。鮭缶やコンビーフは別格だった。サバ缶はいまでも時々食べるが、まったく食べなくなったのが果物の缶詰だ。ミカン、モモ、パイナップルがゴールデントリオだった。病気の時に食べる特別な食べ物だったが、甘すぎるから、それほど喜んでいたわけでもない。そもそも果物があまり好きではなかったからかもしれない。ここ数十年で生の果物のうまさを知り、欠かさず食べるようになった。同時に、ヨーグルトといっしょに食べるために、ドライフルーツも常備している。

 インスタント麺は、世間の流れに反し、袋麺を愛用している。カップ麺は、どうも好きになれない。焼きそばだって、カップ麺は和えそばだから、袋麺を自分で料理した方がうまい。袋麺の最高峰はマルタイの棒ラーメンだ。フガフガの縮れ麺ではなく、ツルツルの棒ラーメンがすばらしい。1970年代からのファンだ。たしか、椎名誠が外国に持っていくのが、このマルタイ棒ラーメンだったはず。

 続・経年変化の話は、キリがないので今回で一応の「おしまい」ということにする。あ~だこ~だと書いているうちに、単行本1冊分くらいの駄文集になってしまった。テレビ、映画、旅行など、経年変化の話題はまだいくらでも出てくるから、ホント、きりがない。