数年の空白と数十年の空白 1
こんなに長い空白になるとは思っていなかった。コックをやっていたときよりも、母の介護をしていたときよりも長い期間の空白だった。大人になってから、こんなに長く旅をしなかったことはかつてない。
2019年にバルト三国を旅した。翌年もまた旅をすることに、何の疑いもなかった。ところが、帰国して間もなく、のちに『プラハ巡覧記』(産業編集センター、2020)となる旅行記の制作作業に入るころ、「コロナ」という語が話題になり、編集者との最初の打ち合わせは普通に喫茶店でやったのだが、それ以後の編集作業はパソコンを使ったリモートになった。担当編集者と会ったのは、結局2回だけだった。
コロナが話題になっても、半年ほどで元の状態になるだろうと思っていたのだが、テレビで山中伸弥博士が「元に戻るまで、数年はかかりますね」と話しているので、たじろいだ。蟄居(ちっきょ)ということばが浮かんだ。自宅謹慎、自主軟禁ということばも浮かんだ。それがどういうものであれ、長期間に及ぶと宣言された。幸運にも、大学講師の仕事はすでに定年になっていたから問題はなかったが、私の後を引き継いだ作家の田中真知さんは、リモート授業となっていろいろ苦労したらしい。私のデジタル音痴をよく知っている真知さんや知り合いの講師たちが、「前川さんは、ホント、いい時に講師をやめたよね」と言った。私にはリモート授業なんかできないから、定年前でも講師の仕事はやめていただろう。
コロナ流行の最初の1年は、日本を出られないという閉塞感で息苦しかった。もともと人込みが好きではないから、繁華街に出られないという悲しみなどまったくないが、日本に閉じ込められたという失望はつきまとった。
そういう境遇でも、首都圏の鄙で家内作業をしている毎日が、しだいに、それなりに楽しくなってきた。さまざまな音楽ジャンルのCDをネットで毎週数枚買っていた。音楽を聞きながら本を読み、関連書をネット書店に次々に注文し、ブログのネタを考え、調べ、また本をネット書店で買って読む。読書に疲れたら、ユーチューブでさまざまな動画を見た。世界の食堂や屋台の仕込み風景の動画は、大変ためになった。旅行者は、店の裏の作業を見ることはできないし、屋台の仕込みも自宅でやっていることが多いから、動画で見せてくれるのはありがたい。こうした動画で、インドの野外料理やカンボジアやタイの屋台や、ソウルの弁当屋の作業も見せてもらった。そういう家内作業を続けているうちに、自宅で座ったままでできる世界旅行が楽しくて気楽で安くて、いつの間にか閉塞感はなくなった。すっかりアームチェアー・トラベラーになりきっていたものの、現実の旅行世界にもう戻れなくなるかもしれないという不安はつねにあった。
2023年になると、外国旅行もなんとか行けるようになったが、ちょうど町内会の仕事が回ってきて、旅行は1年延期になった。そうこうしているうちに、急激な円安になった。旅行に行けないから、悔し紛れに旅行皮算用遊びをやった。
おそらく、旅行好きな日本人は皆思っていることだろうが、「なぜ、あのとき、まとまった額を外貨に両替しておかなかったのだろうか」という後悔だ。「あのころ、もし100万円を米ドルに換えておけば・・・」という皮算用だ。2010年には、1ドル80円、コロナ前の2018年でも110~115円ほどだった。「1ドル100円で100万円両替していれば、今は160万円になっているよなあ・・・」というタラレバ夢想(円安を予想できていタラ、大量に両替していレバ)だ。
2019年にバルト三国の旅を終えても、「どうせ、すぐまたこの辺に来るから・・・」と思っていたから、ユーロの再両替をしなかった。旅行前、万が一の場合を考えて大目に両替していたものの、物欲のない旅をしているから用意した旅行資金が余り、ユーロ札はそのまま日本に持ち帰り、小銭というにはかなり多めの額の札(ふ・ふ・ふっ)は、引き出しにしまってある。128円で買ったユーロが、いま170円だ。日本円に再両替したら利益が出るが、ヨーロッパで使うと物価が高くなった分、「儲けた」という実感はないだろう。ああ、円安と物価高が怖い。
引き出しのなかのユーロ紙幣を使う日はいつ来るのだろう。