2109話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その4

キムチシャワー 1

 韓国に初めて行ったのは1978年だ。そのあと、雑誌の取材で、1985年と87年の2度行き、それ以後韓国に行っていない。最後の旅から37年、最初の旅からは、すでに46年たっている。

 2024年の旅の話をするには、2024年までの過去を振り返らないと、さまざまな事柄がつながらない。今、韓国を訪れる多くの日本人はまったく興味がないだろうが、私は韓国の変容に興味がある。いつものようにあれこれ考えるから、旅行話も長くなりそうだ。今回は、時空を飛び交う旅行記になる。時系列で話は進まないから、少々ややこしくなるかもしれない。自分の行動記録だけの「行った、撮った、食った、買った」の旅日記なら3回で終わるのだが、それじゃ、私がつまらない。

 1978年の韓国旅行のことは、『アジアの路上で溜息ひとつ』(講談社文庫、1994)という旅行記の中で、「キムチシャワーにようこそ」というタイトルで文章を書いた。興味がある人は、アマゾンならタダのような価格で売っているから買ってもらうのがいちばんだが、重複する部分もあるが、ここであらたに書いてみよう。

 その年、コックをやめた私は、「とにかく、旅を!!」という欲求不満の解消先を「遠いところ」に選び、エジプトにした。エジプトの何かが気になったわけではない。知識はない。ただ、沙漠とナイル川を見たかったにすぎない。何も考えていなかったことがよくわかるのは、カイロのある日の散歩だ。市場の近くに人工かもしれないと思えるような小さな丘があった。坂道を上るとモスクだろうなという勘は当たり、たしかにモスクに出た。庭からカイロ市内を見渡すと、住宅が切れるあたりに三角の建造物が見えた。もしかして、あれがピラミッドか?

 宿のスタッフに聞くと、それはたしかにピラミッドで、市内バスですぐに行くことができると知った。エジプトにピラミッドがあることはもちろん知っていたが、カイロの住宅地の端っこに建っているとは思わなかった。それ以前に、エジプトに行くなら当然ピラミッドとスフィンクスだよなという連想もなかった。遺産に興味がないのだ。

 エジプトでそういう旅をして、帰路はなぜかルーマニアの首都ブカレストに寄った。おそらく、私に航空券を売った旅行社の算段で、エジプト航空ルーマニア航空の抱き合わせ航空券を作ったとしか思えない。ブカレストのあとバンコクに飛び、いつものように散歩した。このときバンコク以外の街に行ったのかどうかという記憶はない。

 おお、今、急に思い出したぞ。1978年の記憶が、霧が晴れるように見えてきた。その年も、横浜から船に乗って香港に行ったのだ。その香港で台湾往復の航空券を買い、しばらく台湾を旅した。中国料理のコック見習いはやめたが、じっくりと中国料理を見ておきたいという気持ちがあって、こういうルートになったのだ。不経済なルート選定だということは分かっているが、おもしろい旅をしたかったのだ。コック時代にためたカネはある。節約よりもおもしろい旅を、だ。

 日本の海外旅行史の情報を加えておくと、78年にはまだ格安航空券を売る旅行社がそれほどなく、販売している航空券ではルートや時期や価格に不満があった。日本からまた船で出たい(それが3度目だ)という気分とは別に、とにかく日本を出て、外国のどこかで安い航空券を探すという旅行技術が必要だった。そういう時代背景を知っていないと、私の奇妙な旅行ルートの意味がわからないだろう。世界旅行の交差点にあるバンコクアテネなどが、安い航空券が手に入る場所だった。とりあえず、そこまで行って、あとは航空券の価格など諸条件を考えて、次の旅を考える旅行者が多かった。

 話が戻って、78年の私の旅だ。台湾から香港に戻って、バンコクに飛んだ。記憶を探ると、バンコクに来ても最終目的地はまだ決まっていなかったのだ。行きつけの旅行社に行き、レストランでメニューを見るように、格安航空券のリストを見て、「さて、どこに行こうか」と考えたのだ。バンコクから、西にも南にも行ける。エール・フランス機で南回りアメリカ行きというルートもある。いろいろ考えて、「エジプトに行きます」と旅行社に伝えた。そこで「これは、どうですか?」と提案されたのが、エジプト航空ルーマニア航空という抱き合わせ航空券だったというわけだ。

 帰路のバンコクーマニラー羽田の片道切符を買ったのはその時だったか、エジプトからの帰路立ち寄った時かは覚えていないが、いちばん安いエジプト航空に手を出したのは間違いない。

 エジプトからの帰路、バンコクからマニラに飛んだ。初めてのフィリピンだ。そのあと、なぜ韓国に向かったかという話は、次回に。