のり巻き 3
最初の企画では、のり巻きの話は前回でお終いの予定だった。思い出を書くだけでいいと思っていたのだが、そうもいかなくなった。1970年代以降のソウルのことを知りたくて、『ソウル 街ものがたり』(黒田勝弘、ネスコ:発行、文藝春秋:発売、1988)を再読していたら、こういう文章が出てきた。30年も前に読んだ本だから、内容をすっかり忘れていた。
「旅館街では、夜が更けるとモノ売りの声が聞こえる。連れ込み旅館の客たちを目当てに、路地で声を発してモノを売る。モノはおもに食べ物である。なかでも夜食というわけだろうか、ノリ巻き売りがよく通る」(中略)
「(ノリ巻きは)日本ルーツの食べ物だが、韓国では細身になっていてノリにはゴマ油が塗ってあり、香ばしい味とかおりがある。市場(シジャン)の屋台などでは、長さ十五センチくらいの細身のノリ巻きを何十本も積み上げて売っている。もちろん、たべるときは輪切りにしてくれる」
1978年に見た「細巻きののり巻きの物売り」が、これだ。ここでは省略したが、黒田の文章は、のり巻き売りの少年のわびしげな声の描写が続く。黒田の1980年代の著作は、ジャーナリストというよりもエッセイストのような文章が多く、私はすべて読んでいる。
こういう資料が見つかったら、本腰を入れて調べないといけない。書棚から『食卓の上の韓国史 おいしいメニューでたどる20世紀食文化史』(周永河、丁田隆訳、慶應義塾大学出版会、2021)を取り出す。この本は、日本語で読める韓国食文化史の最高の資料で、とりわけ20世紀の食文化に詳しい。20世紀に焦点を当てると、特権階級の料理紹介にはならないのがいい。この本のことは1729話でちょっと紹介した。
1949年の新聞に、のり巻きなどの物売りが増えたという投稿があると紹介し、のり巻きは日本時代に持ち込んだものだが、出版物にそのレシピが載るのは1930年代だという。「東亜日報」(1930年3月7日)に「キムサムパプ」(ノリマキズシ)のレシピが載っている。具は、カンピョウ、シイタケ、卵焼き、デンブ。飯に酢を入れるかどうかの説明なし。太さもわからない。
1937年に、京城女子師範学校の「割烹研究」という雑誌に載っているレシピ。具は、三つ葉(あるいはホーレンソウ)、カンピョウ、タマゴ、オボロ。飯は酢、砂糖、塩、味の素を入れる。朝鮮王朝時代には、のりは「海衣」(ヘウィ)または「海苔」(ヘテ)と書かれていた。方言の「チム」がのちに「キム」になったらしい。
文献でわかるのは、おそらく、日本時代は日本ののり巻きに近いものだったようだということだが、その当時朝鮮人が食べていたのり巻きがどのようなものだったかは、わからない。そのあたりのことは、老人たちにインタビューすればわかることだろうが、私の手には負えない。
食文化研究者石毛直道さんが韓国の伝統料理研究家黄慧性(ファン・ヘエソン)さんにインタビューした『韓国の食』(平凡社)に、すしの話がちょっと出てくる。黄さんは1920年生まれで、日本の女学校と専門学校で学んだ人物だ。日本時代の話で、日本人が作る巻きずしをまねてキムパップというものを作ったが、酢と砂糖を入れる日本式ではなく、塩とゴマ油で味つけたのり巻きだと語っている。学生街ではホーレンソウとタクアンを入れた酸味のない巻きずし、キムパップが大人気だった。日本人が作るのり巻きと、朝鮮人が作るキムパップがすでに存在していたことがわかる。朝鮮では初めから酢飯は受け入れられなかったようだ。
前回までのコラムで、細巻きから始まり、しだいに太巻きになったと理解していたが、どうやらそうではないらしい。細巻きは廉価版、あるいは出前や屋台向けのスタイルだったと理解するべきだろう。
日本では、江戸時代からのり巻きは、江戸は細巻き、関西は太巻きという違いがあり、この傾向は現在まで続いている。「関西 スーパー のり巻き」、「関東 スーパー のり巻き」で画像検索すると、その傾向がよくわかる。
そのことと朝鮮ののり巻きの細巻きと太巻きの両方があることと関係があるのか? このあたりも、専門家はじっくり研究していただきたい。