2015話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その10

のり巻き 4

 『B級グルメが見た韓国』(文藝春秋編、文春文庫、1989)は、韓国の食文化に関して第1級の資料だ。この文庫が韓国食文化に興味を持つ人に強烈な印象を残しているのは表紙の写真である。この表紙(カバー)だ。

 のり巻きにカレーをかけた料理は、ショックを与えるデザイン上の演出ではなく、ソウルのチョンノにある「カレーハウス・インディアナ」の「カレー・キムパップ」という実在の料理だと説明がある。

 いままで何度か読み直していて、このアジア雑語林でも何度か取り上げた本だが大分昔のことで、記憶が遠のいている。だから、また手にした。のり巻きに関して、次のような記述がある。ただし、韓国語のカタカナ表記は誰でも読める前川式に変えてある。

 「海苔巻きを表す韓国語には、「キムチョパプ」と「キムパプ」の二通りがある。使われるごはんが違うからで酢めしを使えば前者、普通のめしを使えば後者の呼び方をする」

 前川が蛇足を加えておくと、「キムチョパプ」とは、キム(海苔)チョ(酢)パップ(飯)という意味だ。

 酢めしを使うのは日式店(日本料理店)だが、筆者はそういう店でも「ほとんど酢の味が感じられない」という。高級日本料理店「魚遊島」で出しているキムパップの写真が載っている。具は、カンピョウ、だし巻き、デンブ、細切りキュウリ。10個で4000ウォン。やはり高級店だけに、高い。1989年当時、インスタントラーメンひと袋は100~200ウォンだ。この文庫の「学生食堂全メニュー」というページを読むと、大学近くの食堂では1食500~900ウォンだと分かる。キムパップが4000ウォンというのは、それから三十数年たった2024年の安食堂の値段だから、当時の4000ウォンがいかに高いかわかる。

 『B級グルメが見た韓国』は文藝春秋編となっているが、ほとんどの文章は文藝春秋の編集者である嶋津弘章氏が書いている。その目は鋭く、韓国ののり巻きには酢を加えたものと加えないものの2種類あって、韓国人は一般的に酢飯を好まないのではないかと分析している。

 日本ののり巻きの韓国化を考えてみると、まず酢を入れないことだ。普通の白飯でいい。次に具だ。韓国では手に入りにくいカンピョウ、でんぶなどの代わりに、韓国でもよく食べられているタクアンやソーセージなどを使い、ゴマ油を塗り、ゴマを振りかければ、屋台や食堂で売っている安いのり巻きになる。

 酢飯が苦手ということで思い出したのは、1990年代初めに、バンコクのスーパーでパック詰めのすしが売られるようになったときだ。タイの安いすしは、店舗を構えた高いすし屋のすしと違い、酢飯ではないという在住日本人たちの感想だった。飯酸っぱい腐っているという連想だろうと思った。タイでも、酢飯にしないことですしは広まったが、回転ずしの流行や、日本を旅行した経験者たちが増えたことで、日本どおりの「酢飯を使ったすし」がしだいに広まり、酢飯に抵抗がなくなったのだろうと推測している。

 しかし、「タイ人はすっぱいものが苦手」ということはまったくなく、ライムの酸味を好む。熱帯では醸造酢は扱いにくく、中国系が使うだけだ。

 わからないのが台湾で、すしは「酢が強い」という評価はあっても、酢が入っていないすしの話題を読んだことがない。

 というわけで、韓国ののり巻きについて掘り下げようとしたら、「韓国人と酸味の文化史」も調べなくてはいけなくなる。どうやら韓国人は酢飯は苦手のようだが、酢を使わないというわけではない。トウガラシみそであるコチュジャンに酢を加えたチョコチュジャンはサシミに使う。冷麺やタクアンに酢をかけることもある。

 韓国の専門家でもなく韓国料理研究者でもない私が、手元の日本語資料だけを使っただけで、この程度のコラムは書けるのだから、韓国語が読める韓国料理研究家なら、もう少しマシな本が書けるだろう。レシピや料理や店の紹介記事ばかりじゃなくて。

 これで、キムパップに関する素人考察を終える。次回から、トンカツの話を始める。