ハングル
初めて韓国に行ったのは1978年で、そのあと85年と87年に、雑誌の取材で行っている。取材はコーディネーターが用意した場所で取材をして、「はい、次の場所」と移動していくから、韓国の記憶は全体的には薄い。
85年に韓国取材をすることが決まり、泥縄でハングルの勉強をした。取材で使えるわけではないが、78年の旅行でなにも読めないのがくやしかったから、少しは読めるようになりたいと思った。ほんのちょっとの独習で韓国語が読めるようになるわけはなく、私の目的はメニューが読めればいいというくらいのレベルだ。「これはキムチ」、「ああ、ソルロンタンと書いてあるな」ということくらいわかればいい。もうひとつ、地名が読み取れれば、地図を見て、自分がいる場所を確認できる。
85年の取材初日から、我が一夜漬けハングルが役に立った。ソウル金浦空港に着いて、取材ノートを広げたのだが、編集部からもらったメモがない。そこには、これから取材のコーディネートをしてくれる会社の連絡先が書いてあったのだが、そのメモを日本において来てしまった。連絡先の情報がないのだから、電話もかけられない。日本の編集部に電話するか?
編集部からメモをもらったときに、コーディネイトしてくれる会社の住所から地図でその位置を確認していた。78年の旅で、とりあえずの目的地であるソウル市庁舎の位置と姿は記憶している。空港からタクシーで市庁舎まで行った。めざすビルはすぐ近くにあるはずだ。そのビルは、すぐに見つかった。ビルに入る。そこは何社も入居しているオフィスビルだから、どの部屋に行けばいいのかわからない。1階ロビーの壁に、英語だとディレクトリーだが、日本語でなんというのだろうか、入居者表示板とでもいうのだろうか、会社名が列挙してある。
めざす会社の名はなんとなく覚えているから、ハングルのMで始まる会社名を探し、それが402号室にあることがわかった。1時間やっただけのハングル学習が役に立ったのだ。
帰国してからしばらくたって、知り合いのライターから仕事を依頼された。「ゴールデンウィークに、これをマスターする」という週刊誌の特集の仕事を引き受けたが、合計8本の記事はとても自分ひとりでは書けないから手伝ってほしい。ついては、いい企画はないかというのだ。私が提案したのは「3日でハングルが読めるようになる」という企画で、すぐさま採用された。三日坊主で覚えたハングルを、知ったかぶりで書いて原稿料を稼ごうというのだ。私が書いたのは、韓国語が読めるようになるわけじゃなく、発音がちゃんとできるようになるわけじゃない。しかし、初日に1時間、その復習をあと2日やれば、「キムチ」と「サムゲタン」の区別はつく。「ソウル」と「プサン」の区別はつく。そうやって3日間ハングルで遊べば、隣の国の文字がどういう仕組みでできているかわかる。その程度でいいじゃないかというのが、私のコラムの趣旨だ。
三日坊主の知ったかぶりハングル原稿に、良心の呵責は多少あり、雑誌が出てすぐ、知り合いの知り合いに朝鮮高校卒業者がいたので、私のコラムを読んでもらい、誤りはないか確認してもらうと、「問題ないですよ」という返事だった。
85年に、ソウルの書店で『韓日辞典』を買った。ハングルを1時間学べば、辞書を引くことができる。文法を学んでいないから文章は調べられないが、名詞なら引ける。しばらくは辞書遊びをやった。辞書の日本語を読みながら、気になる語があれば、ハングルの見出し語を読むという逆利用をして、弁当が「トシラク」だということがわかった。その程度には楽しめた。
85年以後も、韓国語の勉強はしたことがないし、ハングルの復習もしていないからほとんど忘れている。2024年のソウルでは、プラハでやっていたように、地下鉄の駅名表示を見て、車内放送でその発音を確認するという遊びをやっていた。高野豆腐頭の男がやる遊びだから、いつまでたってもハングル判読に時間がかかるし、よく間違える。それでも、何も知らないよりはマシだ。