宿の場所 3
ソウル市鐘路区は、景福宮、昌徳宮などいくつもの宮殿があり、旧大統領府「青瓦台」(せいがだい。現在は市民公園)もある。東京でいえば、千代田区だ。鐘路区大学路は、かつてソウル大学があったことでその名が残っている。ソウル大学があった場所は、かつて京城帝国大学があった。鐘路区はそういうちくであるが、我が宿がある場所もまた鐘路区である。
この路地がいわくありげだということは、歩いているうちに感じていた。うさん臭いのだ。喫茶店で競馬新聞を広げながら、金儲けの噂話をして時間をつぶしているような男と、語れない過去が多すぎる女がタバコを吸いながら立ち話をしている。シケタ風体の男が、湿っぽい路地にしゃがんでタバコを吸っている。危なさもうさん臭さ感じないが、倦怠感や退廃感は濃厚に漂っていた。男は、女にたかるヒモのようにも見えた。こういう光景は、歌舞伎町近辺の路地裏ならいくらでもありそうだが、そういう世界に疎いので、あくまで想像の風景だ。ソウルの中心地にいるのに、場末感が充満しているのだ。
その路地は、夜になるとはっきり姿を変えた。いくらか想像していたからひどく驚きはしないが、「おお、そうきたか」という感想だった。シャッターが閉まっていたケチな店はネオンサインがついたが、バーではない。どの店も入口のドアは開け放しているが、飲食店のインテリアではない。住宅でいえば玄関あたりで、着飾った女が路地に向かってコビを売っている。そういう「商店」が並んでいる。それは、写真で見た西成の飛田遊郭のようなものであり、アムステルダムの飾り窓地域のようだが、アムステルダムと違ってここにはガラス窓はない。寒い季節は、おそらく扉を閉めて、ショーウィンドウになるのだろう。
この路地は、そういう売春地帯だったのだ。2階に上がる階段が見えるから、日本風に言えば、バー、スナック、飲み屋、クラブといった体裁をしている店もあるのだろうが、そんなまどろっこしいシステムなどなしに、玄関で交渉という店もありるようだ。路地から覗いただけだから、詳しいことはわからない。この界隈を夜になって歩き回ることはなかったが、夕方の食事時でいえば、客引きなどおらず、煩わしいということはなかった。「店内」をちらっと覗くと、「若さはつらつ」という方はいらっしゃらないようだった。
宿のスタッフの話。「この宿に来た人は、初日の夜に皆さん驚くんですよ。韓国は売春は禁止されているけど、この地域は、まあ、なんというか、黙認というか・・・」という地域に建つ健全な白亜の宿が私の散歩基地である。
実は、「安宿街は売春地域でもある」という傾向は、アジアの旅で体験済みだ。タイだって台湾だって、そうだ。私を宿まで連れて行ってくれた若者が泊まっている宿、私が「公衆便所みたい」と形容した家は、元はその種の施設だったのだろう。台北で安宿探しをしていて、そっくりな施設を見たことがある。
帰国後、ユーチューブで古いソウルの動画を探していたら、ドキュメント映像の一部が出てきた。いきなり映像がでてきて、いきなり終わるから、タイトルも何もわからないが、ナレーションは多分、奈良岡朋子。1950年代のソウルで、苦界に身を落とした若い女を助け出そうとする男のドキュメントだ。女が身を沈めた場所が、ここ鍾路だった。
私は裏社会報告者ではないから、おどろおどろしい路地の写真は撮らなかった。フィルムカメラを使って、露出を下げて撮るか、24ミリレンズをつけて小さなストロボで黄昏時に撮影すれば、藤原新也になれる。私は昼の旅行者だから、昼の路地を撮ってみた。
そういう場所から、私のソウル散歩が始まった。なかなか興味深い滑り出しである。