さあ、民俗博物館だ 2
ソウル2日目の朝、散歩を始めた。鍾路を西に進み、大通りの交差点に出る。右に折れると、たぶん韓国でもっとも有名な道路である世宗大路(セジョンデロ)に出る。この大通りの分離帯に偉人像がふたつある、立っているのが、朝鮮水軍を引いて日本軍と戦った将軍李舜臣(イ・スンシン)の像。座っているのが、ハングルを考案した第四代国王世宗だ。韓国を取り上げるテレビ番組だと、この通りの風景から始めることが多いのだが、私は国威発揚広場にはほとんど興味がないので、立ち止まることなく北上した。だから、写真を撮っていない。
突き当りは、景福宮の正門である光化門だ。前回までの旅で、この門は見ていないのではないかと思って帰国後調べてみると、そのとおり、見ていない。現在の門は2010年に完成したのだから、見ているわけはない。門を背にして見回したが、記憶に残る景色はない。1987年にここに来たときは、光化門の後ろに旧朝鮮総督府があり、当時は国立博物館だった。その内部も見ているが、私が興味を持つような展示物はなかった。その旧朝鮮総督府はすでに取り壊されているが、跡地がどうなっているのか確かめようがない。景福宮が、本日休館だからだ。
大韓民国歴史博物館を歩いているときに、光化門の正面写真を撮り忘れたことに気づき、慌てて窓から写真を撮影した。
民俗博物館は、基本的に年中無休というのは確かめておいた。だから、まさか宮殿に休館があるとは思わなかったのだ。毎週火曜日が休館らしい。そういうことをきちんと調べておかなかったのは、宮殿というものに興味がないからだ。民俗博物館が開いていれば、それでいい。しかし、景福宮に入れないのに、どうやって民俗博物館に行けばいいのか。どこかに案内板があるかもしれないと、光化門周辺を歩いてみたら、休日用の案内所があり、たずねれば、「はい、今ここですね」と言いながら地図を取り出し、塀沿いに歩いて民俗博物館にいくルートを教えてくれた。
光化門の右側から北に歩いていくと、歩道ぎりぎりを通り過ぎる影を見た。西洋人観光客を乗せた三輪自転車だ。バッグからカメラを出して撮影する時間はなく、その後ろ姿を眺めただけだ。
観光用であることは明らかだ。見たこともない三輪自転車だから、多分韓国製(もしかすると、中国製かもしれない)だ。かつて、アジアの人力車、三輪自転車、三輪自動車の歴史を追ったことがある。のちに『東南アジアの三輪車』(旅行人)としてまとめたのだが、調べても朝鮮韓国の事情がよくわからなかった。台湾にも朝鮮にも人力車はあった。戦後だが、台湾には三輪自転車があり、ちょっと前の旅で三輪自動車がまだあることを確認している。三輪自転車に小さなエンジンをつけたタクシーも地方都市で見ている。ところが、朝鮮韓国では、古い写真を見ても、三輪自転車や三輪自動車の姿が見つからないのだ。だからといって、「なかった」という証拠にはならないが、気になっていた。三輪自転車のことは今もわからないが、日本から輸入した三輪自動車が走っていた時代があったことは、この日の午後に確認できた。
炎天下を歩いて、やっと着いた。昔の名残で「國立民俗博物館」の看板もかかっている。