さあ、民俗博物館だ 3
景福宮の東側を塀に沿って歩き、民俗博物館の専用入り口に着いた。基本的に年中ほぼ無休で、しかも韓国の公共博物館はほとんど(あるいはすべて、入場無料)らしい。
前回ここに来たのは1987年だ。食文化関連の展示があったのを覚えている。その時,『國立民俗博物館』というタイトルの収蔵品カタログを買っている。今このカタログを広げてわかることは、「時代だな」ということだ。漢字が多いのだ。奥付けは漢字だ。「1980年初版 1986年 四版」。「発行 通川文化社」の住所もすべて漢字表記だ。「売價 5、000원」とある。1983年のことだが、1000ウォンが約300円だった。だから5000ウォンは約1500円ということになる。そう考えれば、とりたてて高額というわけではないが、「のり巻き」の項で書いたように、1980年代末でも、大学生向けの食堂で、1食500~900ウォンだったから、日本風に言えばカレー6皿の価格ということになる。そういう高額の本でも買えたのは、取材費があったからだ。「資料代」の名目で、取材費として処理できたからだ。
このカタログは、写真説明はハングルによる韓国語と英語の併記で、巻末の解説も韓国語と英語の両方がある。巻末の掲載写真リストは、漢字交じりのハングルだ。だから、「螺鈿漆器」、「金箔工芸」、「虎足盤」といった漢字がいくらでもある。虎足盤というのは、猫足家具ではなく虎足がついた銘々膳のことだ。
漢字交じりが「時代だなあ」という話は、いずれまとめてやることにするが、このカタログを作ってもう44年たっているのだから、さぞかし展示品はいっそう充実していることだろうという期待が、今回のソウル旅行の原動力だ。
博物館の庭に、いくつもの建物があった。今の日本風に言えば、「レトロ街」だ。埼玉の西武園ゆうえんちは昔の商店街を再現したものだが、ここはいくつかの建物を個々に再現したものだ。時代は、1970~80年代のソウルだ。
小学校がある。独立した建物だが、内部は教室だけだ。私が知っている小学校の教室と違うのは、木造校舎ではないということだけだ。私が卒業した小学校も中学校も、在校時代は木造校舎だったが、卒業してすぐに鉄筋コンクリート校舎に生まれ変わった。1960年代のことだ。ふたり一組の木の椅子と机。石炭を使うだるまストーブ。すべて私の記憶にある。弁当は、ストーブに直接置かず、金網に乗せたような気がする。


家電店があり、

銭湯も資料になっている。
日本では銭湯は細々ながらまだ現役だが、韓国では、いまや「懐かしの銭湯」という形容詞がつくようだ。たしかに、「消えゆく銭湯」という記事がある。この記事によれば、コロナ禍以後、「今はもう探すこと自体が難しくなってしまいました」という。そうか、ここ10年ほどで急速に減ったということらしい。昔ながらの先頭から、ドラマでもおなじみのチムジルバンに変わっていったということらしい。

右側のドアには「ヨタン(女湯)」。銭湯はモギョッタンという。

冷蔵庫には、紙パック入りの牛乳など冷たい飲み物があり、その前に体重計。

韓国の銭湯の浴槽は、関西スタイルが多そうだ。関東スタイルは浴槽の3方が壁についているものが多い。左側のものは、私には謎だ。浴槽ではなく、髪や体を洗う湯が入っているのだろうか。
横道話を少し。韓国映画で銭湯が出てきたものがあった。どの映画か忘れたが、ヤクザや刑事が出てくるのもだったような気がする。フィンランド映画「マッチ工場の少女」(1990)に、銭湯が出てくるが受付だけで内部のシーンはない。どうやら、客は浴槽かシャワーを選ぶらしい。イギリス映画でもロンドンの銭湯に行くシーンがあった。廊下の両側にトイレのようなドアが並んでいて、中に足つきバスタブがある。ヨーロッパにも、銭湯がある。