2132話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その26

さあ、民俗博物館だ 4

 民俗博物館の庭に作られたレトロ商店は、商品に対する思い出や思い入れなどまったくないので、「ふむふむ」で終わる。のちに民俗博物館の画像をいろいろ見ると、この  「思い出商店街」は時期によって展示が変わっているらしい。

 さて、いよいよ、待望の民俗博物館だ。

 館内に足を踏み入れる。進む。歩く。15分で終わった。

 「なんだ、これだけ?」

 わざわざ韓国まで来た甲斐がない。今回の韓国旅行の主な目的は、この国立民俗博物館に来ることだった。その目的、期待は、わずか15分で崩壊した。おもしろい物が少ない。スカスカだから深みがない。展示品が少なく、しかも、ただ「置いてありますよ」というだけだ。展示を工夫したという痕跡がない。

 それが印象だった。展示品の質も量も物足りない。日本の市立博物館と比べても貧弱だ。私がここに来たかったのは、朝鮮の食文化で物や絵で確認したかったからだ。王宮の食事なんか、どーでもいい。朝鮮半島で生きてきた人々の食生活史の資料を見たかったのだ。ああ、それなのに・・・。

 もしかして、大阪の民族学博物館のように、1日では足りず翌日も通うことになるかと覚悟あるいは期待したのだが、わずか15分で入口に戻ってきた。せっかく来たのに、それじゃあんまりだなと思い、もう1周していると、「日本語のボランティア解説がはじまります。希望者は受付前に来てください」という英語のアナウンスがあり、どうせヒマだからと、受付前に行くと、定年退職者のような男の人がいて、案内していただくことにした。

 「どういう分野にご興味がありますか?」と聞かれたので、「食文化です」と答えた。その分野でどういう展示があるのか、すでに知っているし、詳しい内容は聞けそうもないのので、彼の思い出話や、漢字の話などをした。博物館の規模から考えて、大阪の民族学博物館と比べるのは無理なのはわかっているが、それにしても物足りない。

 思い出したのは、ローマの民俗博物館だ。イタリア語ではMuseo Nazionale delle Arti e Tradizioni Popolariといい、直訳は民衆伝統芸術博物館だが、意訳すれば民俗博物館だ。規模は小さいが、ここで楽しい時間を過ごしたという話は、1096話1098話に書いた。この博物館が素晴らしいのは、例えば楽器の展示は、その音も聞くことができるシステムになっている。これは、大阪の民族学博物館やチェコの博物館などにも同じシステムになっている。生活道具を展示している博物館は多くあるが、ソウルの民俗博物館は、道具をただ展示しているだけだが、大阪でもローマでも、その道具をどうやって使っているかという動画も見ることができる。祭も、動画で見ることができる。小さなローマの博物館で2時間も楽しめたのは、動画を見続けていたからだ。写真も多く撮ったが、ソウルでは撮る気をなくした。

 結局、撮った写真は義理で4枚、日記の記述は3行だけ。子供の学習施設という感じだから、私の学習欲を満たしてくれるものではなかった。

 民俗博物館に期待していたもうひとつは、売店だ。前回ここに来た時に絵葉書を何枚か買っている。それは朝鮮王朝時代の絵で、労働や食事なのど生活がよくわかる絵だった。今回も、もし同じシリーズの絵葉書があれば買いたい。なければ、画集を買いたい。昔の絵から、朝鮮人の日常生活を知りたいと思ったのだが、売店にはどちらもなかった。もはや絵葉書が時代遅れだからないのか、それとも別の理由があるのだろうか。

 博物館の売店にないなら本屋に行くしかない。博物館を出て、世宗大路を南に下り、鍾路との交差点にある教保文庫(キョボムンゴ)に行った。韓国最大の売り場面積を持つという書店だ。ここでまず、韓国現代史、とくにソウル現代史がわかる写真集を探したが見つからず、美術の棚に移って、王朝時代の絵を集めた画集を探したが、見つからなかった。

 『地球の歩き方』を精読したら、北村(プクチョン)に、嘉会民画博物館というものがあり、「民俗学的資料が豊富にある」ということなので行ってみたが、そこは絵画教室で博物館ではなかった。廊下で画集が特価で販売していたが、どの絵も私が求めるような、生活がかわる絵ではなく、こういう絵ばかりだった。

 この話は長くなるので、次回に続く。