大韓民国歴史博物館 1
失意の民俗博物館を1時間足らずで出て、光化門を南下して教保文庫に行く途中、アメリカ大使館隣の大韓民国歴史博物館に寄ってみた。国威発揚、お国自慢の展示だろうとは思ったが、入場料はタダなんだし、「つまらなくてモトモト。トイレ休憩くらいに考えればいい」と思って入ったら、ホールにパブリカがあった。韓国でも生産していた時代があったと初めて知った。1960年代は日本車の車種はまだ少なく、新聞広告などで私でもその姿と名を覚えた。私より若い人には、「トヨタ・パブリカ」と言わないと、社名がわからないだろう。パブリカは、public carから名付けた国民車を意識した自動車だ。乗用車が特権階級の所有物から大衆向けに生産するという方針で生産されたというようなことは、私でも知っている。それが時代だ。

やっぱり、丸目ライトはいいなあ。
今調べてみて、1961年から88年まで生産していたと初めて知った。私の乏しい知識ではパブリカといえば、この初代の姿で、ネットで見た2代目以降のスタイルに記憶はない。韓国では1966年からノックダウン生産をしていたらしい。そのあたりの情報は、「トヨタの第一次韓国進出と新進自動車工業」に詳しい。
上の階に見慣れた三輪車があった。K360だと思ったら、私の記憶にないT600だった。

1959年、マツダは軽三輪トラックK360と、その荷台を長くしエンジンを大きくしたT600を同時発売した。韓国では、京城精工が62年にノックダウン生産を開始。同年、社名を起亜に変更し、以来東洋工業と技術提携を続けるといった解説がついている。
韓国で三輪自動車が走っていた過去があったと初めて知った。この車は、東南アジアのようにタクシーとして使われたのではなく、あくまでトラックとして使われたのだろう。

三輪自動車時代の映像(おそらくテレビ映像からとったのだろう)が、「時代の映像」として博物館に展示してあった。
韓国人はこれほどの苦労をして、今日の繁栄をもたらしたという苦難の歴史を鉱山労働者の写真が展示されている。近代化が始まった都市の姿もある。
この写真は韓国の鉱山のものだったと思うが、外貨稼ぎのためにドイツの鉱山にも多くの韓国人が出かけた。そういう過去はよく語られるが、国家的な出稼ぎは男だけではなく、看護婦(女ばかりだから、あえて看護婦と書く)もおおぜい国を離れた。

1978年のソウル。2度目のソウル滞在となった1980年代なかばでもすでに書いたように、ホテルの近所は一面の畑だったのだから。

1979年の新聞が展示されている。まだ漢字がよく使われていた時代だから、日本人でも見出しは判読できる。
大統領暗殺事件は新聞の1面に載ったが、翌年の光州事件は軍政によって、マスコミではいっさい報じられなかった。だから、この歴史博物館にその情報がないのか、政治的意図があってのことかはわからない。韓国政府の広報博物館だから、国民の苦難の歴史は展示しても、政治の横暴は無視されている。新聞から漢字が減り横書きになるといった話はのちほど触れる。
