2135話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その30

大韓民国歴史博物館 2

 富国強兵殖産興業の展示ばかりかと思ったら、意外にも若者の服装変遷史の展示があった。おっちゃん&おばちゃん、じいちゃん&ばーちゃんの服装史がないのは、あまり変化がないからだろう。

 学校の制服は、日本時代は日本の制服に似ていて、詰襟の学生服だった。独立後も学校ごとに制服が違っていた。1950年代から60年代にかけては、大学生も紺の制服や軍服を仕立て直した制服があった。制服がなくなってからは、自慢のために大学のバッジをつける学生もいたそうだ。

 韓国の制服を見るには、映画が最適だ。日本の詰襟に似た学生服姿は、1960年代が舞台の「ラブストーリー」、70~80年代なら「チング」や「マルチュク青春通り」などいくらでもある。資料では70年代までセーラー服を制服にした学校もあったようだが、映画で見た記憶はない。60年代という設定になっている「ラブストーリー」では、ソン・イェジンはセーラー服を着ていない。

 1983年の全斗煥政権(1980~88)は、その前の朴政権と違って、ソウルオリンピック開催も決まり、対外的に「民主的な国」のイメージを作るために、まず髪型制限をなくした。1982年のことだ。朴政権下では「長髪は退廃だ」として、髪の長い若者がいたら、警官たちが押さえ込んで髪を切るという蛮行をやっていた。78年の旅で、そのシーンを目撃している。ソウルの路上で、若者が警官たちに押し倒され、バリカンで髪を刈っていた。全政権は、もうそういうことはやらない、髪型は自由だとした。1983年入学の中高生から制服を廃止すると決定した。「西洋のように、民主化した国家ですよ」というポーズだ。

 私は日本の新聞で、韓国の中高校は制服自由化され、私服になったと知って驚いた。少年院のような規則だらけの学校がいきなり「自由化」という変化の激しさに驚いていたときに、取材で韓国に行くことになったということで、このニュースはよく覚えている。

 韓国の映画やドラマで見る限り、制服は廃止されなかったことがわかっていたが、そのあたりの事情がよくわからなかった。少し調べてみると、こういうことがあったらしい。

 学校側の事情としては、制服があれば、学校外で生徒指導がしやすい。どこの生徒かすぐにわかるからだ。親の事情としては、私服はカネがかかるから家計費の負担が大きくなるから反対という意見が強かった。日本でも同じだろうが、生徒たちも全員が自由な服装を望んだわけでもないだろう。制服問題は、校長の判断に任せるということになった。

 結局、一度は制服を廃止したものの、次々と復活していき、10年後の93年には83パーセントの学校で制服が復活した。

 高校の制服がどうだったかは、ドラマを見るとよくわかる。「応答せよ1988」なら80年代末のソウルの高校、「応答せよ1997」では90年代末の釜山の高校の制服がわかる。

 私は服装に疎いので、若者の服装変遷史を描いた次の絵から読み取れる情報はほとんどないが、防寒服の変遷というポイントを見ていくとなかなか興味深い。

 制服のおもな資料は、韓国人の生活記録による。

学校の)制服。韓国語では漢字で書くと「校服」(キョボク)