韓国の文字
1978年のソウルの第一印象は、「ハングルさえなければ日本の風景」というものと同時に、「ハングルしかないという視覚の重圧」があった。街に見慣れぬハングルばかりがあふれていると、視覚的につらかったのだ。ついついハングルを読んでいると疲れるという感覚を、関川夏央さんは「ハングル酔い」と呼んだが、その時の私はハングルの勉強をまったくしていないので、酔うことはなかったが、わまらない文字に取り囲まれている圧迫感はあった。タイだって同じだろうといわれそうだが、バンコクには英語も漢字(中国語)の看板もあった。日本語の看板もあった。しかし、私が初めて行ったソウルのは、ほとんどハングルしかなかった。今の韓国とはまったく違ったのだ。
そういう歴史の背景を解説しておこう。
李承晩大統領は、就任直後の1948年10月9日、国会で「ハングル専用に関する法律」を制定し、法律第6号として公布した。これは、公文書はすべてハングルで書くが、事情によっては漢字を混ぜることも可能というもので、これが韓国政府の基本姿勢になった。韓国語から漢字を消すという理由は、日本色を消すというものだった。「漢字は中国起源だ」だという正論はどうでもいい。日本を感じさせるものはすべて消すという国粋運動である。
冷静に考えれば、韓国語から漢字をなくし、学校でも漢字を教えなければ、大学生になった元小学生は、10年以上前の本が読めないことになる。文学や歴史を学ぶ大学生が資料をまったく読めないことになる。
それじゃあ、まずいと考える人たちがいるから、1951年に、教育漢字1000字を制定した。54年には、常用漢字1300字を制定した。学校では漢字教育をしていこうと試みたが、1959年に町の看板から漢字を追放した。そして、1968年に教育漢字を廃止し、1970年に小中高の教科書がハングルだけになった。
したがって、1970年以降に学校教育を受けた韓国人は、基本的に漢字を知らないことになるのだが、1971年に漢文を中高の必須科目にした。やはり「漢字がまるで読めないんじゃ、まずいよな」と考える人がいて、韓国の漢字教育は迷走している。
そういう時代に、私はソウルに来たのだ。記憶に残る漢字は、役所の看板だ。白い家屋の前を通ったら、門に「〇〇醫院」の看板があったのも覚えている。もしかして、戦前から掲げてあった看板かもしれない。
新聞の見出しにも漢字があった。外国語の看板が目立たなかった理由は、外国語の看板に重税がかかっていたという理由がるかもしれないが(タイでは、そうだ)、そもそも外国料理の飲食店がほとんどなかったということもありそうだ。ファストフード店が姿を見せるのは、88年のソウル・オリンピック直前あたりからだが、一気に店舗が増えて英語の看板ばかりになったというわけではなさそうだ。
1990年代から、外国人観光客が増えてきたので、道路標識案内文などの漢字が併用されることになり、現在のように、ハングル、中国語、ローマ字(英語)、日本語などの表示が見られるようになり、食堂の窓に写真付きの各国語メニューが貼ってあるのも、ソウルの繁華街なら珍しくない。古い韓国住宅韓屋(ハノク)で有名な北村(プッチョン)にはタイ語のパンフレットもあって驚いた。
韓国ドラマや映画を見ていて、気がつく漢字がある。主人公が上着のポケットから取り出した封筒に書いてある「辭職書」や「辭表」。形式にこだわるから漢字を使うと説明する人がいる。確かにそうかもしれないが、漢字を読めない、書けない韓国人が、こういう漢字が書けるか? スマホで調べたかもしれないが、それでも知らない漢字は書けないだろうというのは、ドラマの重箱の隅をつつきすぎるか。たいていヘタな字だから、リアリティーはあるのだが。
ヘタと言えば、映画「ハント」(監督・主演 イ・ジェンジェ)に、セットで作った日本の街が登場するのだが、スクリーンに映る漢字のまあヘタなこと。
役所への届け用紙に疑問を持ったことがある、婚姻届けだ。コン・ヒョジンとチャン・スンウォンが出演したドラマ「最高の愛」に、婚姻届けがちらっと写り、氏名欄にハングルと漢字で書くことになっていて、「ハングルと漢字の両方?」と思った。というのも、韓国人は誰でも持たないといけない身分証明書はハングルだけで漢字名はないから疑問に思ったのだ。そこで、韓国大使館のHPから婚姻届けを取り出して見ると、ドラマの中で私が1秒以下で見た婚姻届けと同じように、ハングルと漢字両方の記載が求められている。しかし、最近は漢字のない名をつけるのがはやっているようで、例えば「ハヌル」は空の意味だが、ハヌルに対応する漢字がない。
「韓国 新聞」で画像検索すると、昔の新聞は縦書きで漢字の見出しがあるが、今は横書きで漢字は少ないことがわかる。
学校の教科書は最初からすべての教科が横書きだったが、新聞はながらく縦書きだった。横書きの新聞が現れるのは1988年のハンギョレ新聞から。韓国語のタテ・ヨコの変遷は次の研究に詳しいから、興味のある方がここへ。
今は、看板にはハングルのほか、英語、漢字(韓国語、中国語、日本語の場合がある)