2137話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その32

ソウル生活史博物館 1

 韓国に行く前に、ネットで「ソウル 博物館」で検索すると、多くヒットした。リストの中から、まず美術館を除外した。昔の絵があるなら、食生活の資料になるかもしれないと思ったのだが、現代美術が中心らしく、私の関心分野から大きくずれていると判断したからだ。リストに残った博物館のHPを眺め、展示内容を調べ、所在地を地図に書き込み、行く価値があるかどうか検討した結果、私の好奇心をもっとも刺激したのは、ソウル生活史博物館だった。最初に、数行の紹介記事を読んだときは、個人住宅を利用して、そこで使っていた品々を展示している私立資料館のようなところだと予想した。そういう連想は、小泉和子さんが実家を利用して作った「昭和のくらし博物館」からの連想があったからだ。大阪の民族学博物館の企画展「2002年ソウルスタイル」のように、まるで韓国人家庭を訪問したかのように、冷蔵庫の食品や台所の洗剤までそのまま展示しているほどすごくはないだろうが、例えば1970年のソウルの家庭生活がモノを通して見えてくる展示ならおもしろいと期待した。

 そういうわけで、地下鉄駅を出て、それらしき住宅を探しながら歩いていたら、堂々たる建物が目の前に現れてびっくりした。びっくりした理由は、こういうことだ。代々、お上は下々の民の生活や文化に興味などなかったからだ。日本の韓国研究者だって、政治や経済の研究者は多く、その著作や論文はいくらでもあるが、「生活史」はまだない。学者、とりわけ「立派な」と言われたい学者は、生活に近い事柄の研究をしないものだ。天下国家を論じるか、思想哲学で抽象論を展開するのが学者であり、上層階級の身分であり、官僚なのだ。だから、これほど本格的な博物館だとは思っていなかった。

 ここで、生活史博物館に行った翌日、ソウル歴史博物館に行った話を先に書いておきたい。。すでに民俗博物館と大韓民国歴史博物館に行っているのだが、それで気になった。展示品がかなり重複しているのだ。この4か所以外にも行った博物館があるのだが、やはり展示が重複している。そして、壁に資料を張る、資料をガラスケース入れて展示するのが基本で、私の印象は小中学生が1時間ほど見学する施設という印象だから、なんとも物足りない。

 大阪の民族学博物館には、動画を見ることができるブースがある。これがいい。道具や祭りは写真が展示してあってもよくわからない。昔の台所が作ってあっても、包丁やまな板がない。火吹き竹はあるのか、調味料はどんなものがあるのかといった解説は、動画があればわかりやすい。そういう不満は、すべての博物館にあった。これをひとことで言えば、スカスカなのだ。

 ソウル生活史博物館とソウル歴史博物館はソウルを対象にしているのはわかるが、私は韓国人の生活史をぜひ知りたい。支配者は民衆を無視し、中央は地方を無視するというのが韓国だと言ってしまえばそれまでだが、だからこそソウル以外の地に住んでいる人々の生活を知りたいのだ。そういう関心の一部は、ソウル市の南、龍仁(ヨンイン)市にある韓国民俗村で知ることができるが、その話はのちほどということで。

 ただし、博物館の展示で高く評価したいこともある。説明板に韓国語のほか英語もあり、モノによっては日本語のものもある。外国人はあまり来ないだろうなと思える博物館の展示品説明にも外国語があって、「知ってもらいたい」という熱意は伝わる。今は、説明文をスマホの翻訳機能を使って読むこともできるが、そういう操作をいちいちやって読むのは面倒だ。

 どんなものを見せてくれるのだろうと期待しながら展示室を歩いていたら、おお、練炭があるじゃないかという話を次回。