ソウル生活史博物館 3
真冬の住宅地の道路には、いたるところに煉炭の燃えカスが山となっている。路地裏ならなおさらだ。空気も、自動車の排気ガスよりも練炭が燃える臭いがした。1985年2月の私の記憶だ。
その日、韓国人家庭を訪問した。夫婦と女の子がいる30代後半の家庭で、夫は政府系金融機関に勤めている。雑誌編集部の企画は、「韓国人の生活」という大きな柱はあるが、細部は私に任されていたので、食と住の話を中心に聞いた。サラリーマン生活に疎い私は、金融や会社員の生活といった質問はほとんどしなかった。
住んでいる住宅は低層アパートで、真冬なのに室内は充分に暖かかった。床暖房だ。オンドルというのは知っているが、それは一戸建ての場合で、鉄筋アパートの場合はどうなっているのか興味があった。奥さんが詳しい解説をしてくれた。台所と浴室(といっても、トイレとシャワー室)の間に煉炭を入れるボイラーがある。そこで加熱した熱湯をパイプで床に流していく。煉炭1個で8時間持つから、1日3個。ひと月で100個近く必要になる。ソウルの冬を暖房なしで過ごすことは難しいので、練炭の備蓄は絶対に必要だ。「どこに置いておくんですか?」と聞くと、地下に各戸専用の煉炭置き場があるというので、「ぜひ、それを見せてください」とお願いして、見せてもらった。アパートの煉炭置き場やキムチ置き場などを見る民族建築学がおもしろい。世界を相手にした有名建築家のオブジェよりも、ある地域独特の建築を見るのが好きだ。
韓国で練炭をよく使うようになったのは、山の木をことごとく切り倒してしまい、薪が手に入りにくかったこともあるが、真冬に24時間火を絶やさないようにするなら、薪よりも練炭のほうが楽だという理由もある。現在でも貧しい家庭では石油より安い練炭を暖房に使っている。
暖房は練炭だが、台所の煮炊きはガスを使うというのが、都会の比較的裕福な家庭の燃料事情らしい。
この雑語林で何度も紹介している韓国ドラマ「応答せよ 1988」だ。ドラマは4つの家庭をめぐる話なのだが、借金があるせいで半地下生活を送っている家庭は、石油コンロで煮炊きしていたが、謝金を返してやっとプロパンガスを使えるようになったというシーンがある。このドラマの最初の話で、借金を背負ったこの家庭で、深夜、一酸化炭素が充満し、危う一家全員死ぬところだったというシーンがあった。暖房用の煉炭の交換の仕方を説明するシーンもあって、当時の生活の細部まで描写が及んでいてじつに興味深い。
そういえば、このドラマの秋から冬の朝は、落ち葉を掃いているか、練炭の燃えカスを道路に捨てているシーンがあった。それが、私の1985年の記憶と重なる。
サラリーマン家庭の取材をした後だが、場所はまったく覚えていない。私とカメラマンと通訳の女性と3人で歩いていた。そこは・・・、そうだ、今気がついた。その道路は自動車が2台やっとすれ違えるほど狭かったのだが、まるで歩道かのように、のんびりと道路を歩いていた。車がほとんど走っていなかったのだ。大通りなら車はいくらでも走っていたが、住宅地にまで入ってくる車はほとんどなかったということだ。
不思議な景色だった。道路の両側は下りの傾斜地で、私たちはいわば尾根を歩いている感じで、道路わきにはいくらでも空き地があり、そこから両側の住宅が見えた。平屋の貧しい家が密集していた。道路の両側だけは、ポツリポツリとコンクリート2階建ての商店や会社があったが、おおむね木造家屋だった。そして、私たちが歩いている道路は、練炭の燃えカスがたまっていた。このまま堆積を続ければ、いずれ道路が高くなってしまうのだろうなどと想像した。
道路一面が煉炭の燃えカスだから、そこの空気も煉炭の灰の匂いだった。韓国において、練炭はキムチと同じくらいに語られるべき重要な存在なのである。キムチがなくても韓国人は死にはしないが、練炭がなかったら、多くの人々は凍死しただろう。そして、皮肉なことに煉炭による一酸化炭素中毒で、毎年2000人くらいが死亡したという。韓国映画を見ていると、練炭を使った密室殺人事件というのがあった。いかにも韓国らしいサスペンスだ。
煉炭のボイラーは、石油やガスに変わったが、死亡者数はそれほど減ってないようだ。煉炭が自殺の道具に使うからだ。ドラマ「パスタ」や「マイ・ディア・ミスター」など多数の映画やドラマに出演したイ・ソンギュンの死因も、車内で練炭を焚いての自殺だった。
煉炭の関する記事や映像は、この資料でわかる。記事は「日本語に翻訳」で読むことができる。
日本語で、「煉炭ガスによる頭痛にしようした薬」という説明がついている。
練炭を使う上での諸注意。使い方を誤ると死亡事故につながるので、啓蒙が必要だった。
日本語の説明がちゃんとついていて、「煉炭ガス排出機及び警報器」とある。警報器はわかるが、どう排出するのかは不明。