韓国も日本も、変わった 6 地下鉄1
韓国最初の地下鉄であるソウルの1号線は、ソウル駅から東に延びて清涼里(チョンニャンニ)までの7.8キロで、開通は1974年だった。清涼里駅は東大門駅から4つ目の駅だから、ソウルの中心部を東西にちょっと移動するだけだ。それ以後、地下鉄建設計画が立てられ、一部は工事に入り、80年代からぼつぼつと開業していった。
2024年には何度も地下鉄に乗った。ソウルの地下鉄やバスでは物売りが車内にやってくるというのが韓国スタイルで、ティッシュペーパーやガムやボールペンなど安っぽいものを勝手に客の膝に置いていき、折り返し集金に行くという商法や、客の目の前に突き出し、乗客は無視し、行商人は簡単にあきらめないという商法をいたるところで見かけた。あれはどうなたか。近代化したソウルでは、もうなくなったのか。毎日地下鉄に乗っていても見かけないなあと思っていたある日、見かけた。まだいる。屋台のテーブルに商品を置いていく商売もある。黙ってそのままにしていると、回収していくという商売だ。
ソウルの過去の地下鉄路線はどんなものだったのか知りたくなって、手元の資料を読んでみた。
『ブルーガイド 韓国の旅』(1978)は、団体旅行者を相手にしたガイドブックだから、地下鉄に関する実用情報はないが、路面電車が廃止されて地下鉄導入という歴史があったと知った。そういえば、日本語英語併記の大判写真集『発掘カラー写真 1950~1960年代鉄道風景 海外編』(J.Wally・Higgins、JTBパブリッシング、2006)に、ソウルの市電写真があった。1960年代ソウルのは韓国の映画やテレビドラマで見ることはできすが、しょせんセットだから深みがない。当然ながら、この本は当時の街の写真だから、リアルだ。本棚からこの本を取り出してページをめくると、路面電車の写真とともに、路線図も載っている。ソウル駅―南大門―世宗路―鍾路4街―東大門―清涼里という市電路線があり、これが地下鉄1号線になったことがわかる。その市電の南の乙支路を走る市電が地下鉄2号線になったこともわかる。この本のことは、502話に少し書いた。路面電車の車両はアトランタとロサンゼルスで使用したものを使っているという情報もある。
こういうカラー写真集が韓国に行けば手に入るかというと、多分出版されていないと思う。1950年代から1960年代の前半に、精密なカラー写真を何枚も撮影できる財力がある写真家は、日本にも韓国にもいなかったと思う。
『宝島スーパーガイド・アジア 韓国』(JICC出版局、1985初版、1987年改訂版)には2ページのガイドがあるから、個人旅行者が使える。メモしたい記述はみっつ。
・駅名表示はハングルとローマ字
・キップの自動券売機はないから、ハングルと路線図が読めないとキップが買えない。
・駅を降りて地上に出ても、案内板がすべてハングルだから迷う。
『ソウルの練習問題』(関川夏央)に「地下鉄の物語」という数ページの文章がある。2号線の工事が始まった1984年のソウルの地下鉄エピソードが綴られている。『街を読む ソウル』(榎本美礼)にも、1980年代半ばの地下鉄事情が載っていて参考になる。
1970年、東大門付近で地下鉄工事中。工事の素人がこの写真から推測すると、地中に横穴を掘る工事ではなく、道路を掘り返して深い溝を作り、後から埋める工法(開削工法という)ではないかと思う。東京では銀座線がこの工法だった。写真は、ソウル生活史博物館の展示。
長くなるので、次回に続く。