韓国も日本も、変わった 8 地下鉄3
日本を旅行する韓国人の動画は、YouTubeにいくらでもある。日本語のものは、日本在住韓国人が家族友人知人に日本を案内するという企画が多く、たいていは「初めて食べる日本の味」といったものだ。食のほかの日本体験シリーズでは、「電車に乗る」をテーマもある。新幹線乗車体験ではなく、電車体験の場合、車内に乗り込んで、座った瞬間に韓国人旅行者は「ふん?」という顔をする。そうでしょ、そうなんだよと、その動画を見ていて思う。逆に、初めてソウルの地下鉄に乗った日本人の動画があったら、同じように「ふん?」という表情をするだろう。日本の座席は柔らかく、ソウルの座席は硬いのだ。
地下鉄の座席は、ステンレス製のものと、布製とプラスチック製の3種あるようだが、プラスチック製の座席を見た記憶がないが、確実に座っていると思う。布製といっても、日本の電車のようにふかふかの長椅子ではなく、プラスチックの座面にカバーのように布が張り付けてあるだけだからだ。布をはがしてみたわけじゃないので、コツンコツンと叩いた感触では金属ではなく、プラスチックだと思う。
ソウルの地下鉄のことを調べていて、1987年に初めて地下鉄に乗った時のことを思い出した。「やっぱり、日本と同じだな」という感想だったことを思い出したのだ。韓国の地下鉄は、日本の円借款で建設し、その技術も日本のもので、車両も日本から運んだものだということを何かで読んで知っていて、「駅のつくりも東京の地下鉄と同じだな」と思った。ということは、韓国最初の地下鉄車両は日本製だから、とくに改造しない限り、座席も日本と同じふかふかだったということだ。
・・・・という文章を書いてから、地下鉄東西線に乗ったら、座席が硬い。座席が個別に分けられていて、尻の部分が深くえぐれていて硬い。JRの座席とは違ったので付記しておく。
地下鉄の、下品に輝く金属の座席を初めて見たのは香港だった。香港最初の地下鉄は1979年に開通した。そのころ初めて乗った地下鉄の座席がピカピカ光っていた。時代はまだイギリス領で、地下鉄の車体もイギリス製だという噂だったが、「イギリスがこんな下品な座席をつくるか?」という疑問があった。ステンレス製の座席は熱帯仕様のイメージがあったが、ソウルで熱帯仕様はおかしい。ステンレス製の椅子と布張りの椅子はどちらが先に登場したのかわからないが、ネット情報によれば、2003年の大邱地下鉄放火事件により、死者192人、負傷者146人という大惨事が起こった。その後、地下鉄の防火を考えて、座席が布から金属製に変わったという。ステンレスの座席は不燃化対策らしい。ということは、ステンレスの座席は2003年の大火災以降に登場したことになる。だから、もしかすると、それ以前は日本の電車の座席と同じようなふかふかシートだったかもしれない。座席全部を金属製にせず、プラスチックに布カバーをかけた座席の誕生のいきさつがわからない。その布張りシートだが、トコジラミなどを防ぐため2029年までに布張り椅子をすべて強化プラスチック製にするという計画があるようだ。
真冬にステンレスシートに乗っていないから、座席が冷たくて困るとか、逆に暖房が効きすぎてお尻が熱いといった「座り心地」に関することはまったくわからないが、香港の経験でいえば、車内がすいている時に急ブレーキがかかると、座ったまま前方に滑っていくという問題点があった。ちなみに、「地下鉄 座席 ステンレス」で画像検索すると、ほとんどソウルの地下鉄の画像が出てくる。ソウルのほかは、香港と広州。おそらくほかにもあるだろう。
*小ネタ。香港でステンレス座席の地下鉄に乗ったころ、香港北部の町で公衆便所に入ったら、小便器が個別ではなく、かつての日本にも多くあったような、「仕切り板なしで、一列に並んで使用」というものだったが、その便器がステンレスだった。台所の流し台に向かって用を足しているようで落ち着かなかった。
これがステンレス座席。冷たくて、滑る。
韓国人は地下鉄車内で何をしているのか。観察すれば何かわかるかと思ったが、日本となんの変りもない。世界の車内風景と同じように(たぶん)、スマホを見ている。日本と外国との違いは車内で通話している人がいるかどうかで、ソウルでもスマホで話をしている人はいるが、それが韓国の特徴ではもちろんない。
ソウルでは極力歩いていたから、地下鉄体験があまり多くない。韓国地下鉄事情を書くには、経験が少なすぎるが、「快適だった」と言っておこう。
*『韓国 反日感情の正体』(黒田勝弘、角川oneテーマ21、2013)に、地下鉄の話題が出てくる。韓国最初の地下鉄1号線の開通式は、1974年8月15日だった。この日は日本から独立した光復節で、大統領夫妻は光復節記念式典のあと開通式に出席する予定だったが、記念式典の壇上で夫人が凶弾に倒れたという話や、韓国の地下鉄は金銭的にも技術的にも日本の援助を受けていながら、開通式に日本人関係者は招待され、日本と地下鉄の関係は隠されたという話が紹介されている。
大統領夫人暗殺事件(文世光事件)や赤軍派事件で偽造パスポートが使われたことから、1975年から偽造を防ぐためにパスポートの写真にフィルムを貼ることになった。パスポート申請時に自分の住所氏名を書いたハガキを提出するようになったのも、このとき。