2154話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その49

韓国も日本も、変わった 10 コーヒー2

 1979年にソウルで日本語教師をしていた四方田犬彦の『大好きな韓国』に、当時の喫茶店の話が出てくる。長いが、引用したい。

 

 喫茶店はたいてい暗く、熱帯魚を入れた水槽があった。。学生たちは鬱屈した気分を抱き、インスタントコーヒーを飲みながら、思い詰めた表情でいつまでも時間を潰していた。インスタントでないコーヒーなど、誰も飲んだことがなかったはずだ。わたしにはまるで大韓民国(テーハンミングッ)の社会全体が、この喫茶店の閉鎖空間のように思われた。日本では有名な抵抗詩人金芝河(キム・ジハ)の名前も、ここではなかなか口にすることはできなかった。すべてが暗くて陰鬱で不信感に満ちていた。

 

 学生たちが飲んでいたのは、大量の砂糖と粉ミルクが入ったインスタントコーヒーだった。関川さんが飲んでいたのは、日本の喫茶店のコーヒーとあまり変わらないホテルのコーヒーだったのではないかというのが、私の推測だ。『ソウル讃歌』(滝沢秀樹、田畑書店、1984.のち集英社文庫、1988)によれば、街に「コーヒーショップ」という名の店はほとんどなく、うまいコーヒーを飲ませる店は、ホテルとデパートにある「コーヒーショップ」だけで、高いという。それは、インスタントではないコーヒーという意味だろう。

 韓国のコーヒーが薄いのは、在韓米軍の影響だと説明している人がいるが、アメリカ式ファストフードチェーンのせいだと私は考えたい。韓国人がインスタントではないコーヒー、しかも薄いコーヒーを飲むようになるのは、アメリカ式のファストフード店が次々と出店した1980年代だろうと思う。その出店もようは1388話に書いた。しかも、そういう薄いコーヒーは、ソウルに住んでいるちょっとカネを持った若者だけの世界だった。ドラマ「応答せよ 1994」は、1990年代中ごろのソウルの大学生を描いているのだが、田舎出身の新入生がソウルのファストフード店で注文のしかたがわからずドギマギするというシーンがあった。今回の旅で出会った田舎出身だという30ちょっと前の若者と、ドラマのそのシーンの話をしていたら、「ぼくがソウルに出てきた10年前だって、そんなもんですよ。田舎の高校生はそういう店での注文の仕方を知りませんから」と言った。

 今も昔も、韓国人にもっとも親しまれているコーヒーはミックス・コーヒーだ。日本にもあるが、インスタントコーヒーと砂糖、粉ミルクを混ぜて小袋に入れたもので、会社のコーヒーと言えば、これだ。カップのコーヒーが出てくる自動販売機もまだあるようだし、多少稼ぎのある若いサラリーマンだと、会社の近くでコーヒーを買って、カップを持って出社するというシーンをドラマで見かけるのは、ここ10年くらいか。ただし、カフェチェーンとタイアップ広告しているということもあり、不自然にカフェに寄るシーンが多かったりする。

 このような表のコーヒー文化に対して、闇のコーヒー文化もある。「コーヒーの出前という形にしている売春」という話はなにかで読んでいたが、具体的に見せてくれたのが、映画「ユア・マイ・サンシャイン」だ。魔法瓶にコーヒーを入れて出前するという名目で、自分の体も出前するというシステムで、ほかの映画で、ホテルに出前するというシーンがあったと思うが、映画の名を覚えていない。

 少々不可思議な喫茶店を体験している。1987年のことだ。

 その日はひとりで取材した。ちょっと休みたいなと思ったのは明洞で、ビルの窓に”COFFEE”という看板を見つけて、2階に上がった。そこは、日本のどこにでもあるような近代的で明るい喫茶店だった。窓は大きく、明洞のビルが見えた。暑い夏だから、アイスコーヒーを注文した。店員は若い女ひとりだけで、ほかに客はいなかった。ウエイトレスがコーヒーを持ってきた。そこまでは何の問題もなかったのだが、タイトなミニスカートのその若い女性は、私の向かいの席に座った。おいおい、なんだ? 韓国で喫茶店は茶房(タバン)といい、淫靡な施設もあるという話を読んだことはあるが、こんな明るい喫茶店が場末のキャバレーのようになるとは思えない。彼女はカタコトの英語をしゃべるだけで、私に何を求めているのかわからない。20分ほどして、店を出た。特に高い金額ではなかった。

 あの喫茶店は、なんだったんだろう。

民俗博物館のアイスコーヒー。もともと薄いコーヒーに小粒氷を入れたので、すぐに、タダの甘い水になった。

 オフィルビルの1階のカフェ。3時間ほど休まず歩いたので、トイレ休憩と水分と糖分補給のため、緊張しつつ高そうなカフェに入る。こういう「おしゃれ」な場所は好きではないし、注文がデジタルというのも苦手で、結局店員に助けられて、クレジットカードで注文完了。

 パソコンでチャカチャカ仕事をしている人や、ちょっと高そうな服を着ている高給取りOLのおしゃべり風景。東京でいえば、丸の内の風景だ。コーヒー(アメリカン)4500W、ケーキは6500W。合計11000Wは1200円くらいか。東京でも、そんなものだろう。このケーキは、今の日本でははやらないだろうなと思われる重厚&濃厚&極甘だから、腹にたまった。その日の夕食は食えなくなり、スナックをちょっと食べて終わる。オレの貴重な夕飯を返せ!(食べたのはアンタでしょと言われたら、返す言葉はない)。