2155話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その50

長髪とチリチリパーマ 1

 ブログの原稿を書くのに疲れると、格安航空券情報サイト「トラベルコ」で、しばし空想旅行を楽しむ。ヨーロッパ便を調べていると、中国の航空会社の便が破格に安いことに気がつく。そのからくりが、先日の朝日新聞でわかった。ロシアのウクライナ侵攻を批判する国に対して、ロシアは領空の飛行を禁じだ。その結果、日本や韓国・台湾とヨーロッパを結ぶ便はロシアを迂回ルートするルートをとることになり、所要時間が長く燃料費も高くなった。一方、ロシアとともに嫌われ国同盟の中国は、ロシア上空の飛行を許可されているので、飛行時間が短く、燃料費が安いという「早く安い」航空券を販売できる。競争力のないヨーロッパの航空会社は、ヨーロッパ・中国便を漸次廃止しているそうだ。というわけで、日本から南回りでヨーロッパに行くルートならいくらだろう・・・などと調べて、つかの間韓国を忘れる。

 さて、今回の話は髪型。

 あれは、多分2010年代のある日だと思う。その日もとくに目的もなく、バンコクを散歩していた。あまり散歩をしないオリエンタルホテル周辺から、チャオプラヤー川沿いを歩いていた。乾季とはいえ、いつものように暑い日で、ちょっと休憩したいのだが、そのあたりに適当な店もない。王宮方面に近づくとトイレはないから、このあたりでそろそろトイレに行っておいた方がいいのだが・・・と街並みを眺めていたら、入りやすいホテルが見つかった。オリエンタルホテルのような超高級ホテルだと、Tシャツ&サンダル&ショルダーバッグの散歩者は気後れするのだが、団体客が出入りしているホテルだと、私でも入りやすい。

 ロビーは涼しかった。トイレに寄った後、目はベンチを探したが、椅子は少ない。私のような不審者を寄せつけない工夫かもしれない。ここで休憩はできそうにない。

 ロビーに円陣が見えた。ガイドがしゃべっている。韓国語だ。話を聞いている団体旅行者は20代から30代だ。1990年代あたりから、バンコク散歩の楽しみのひとつは、観光客観光だった。観光客の姿や行動を観察する異文化観察遊びだ。そのころ、台湾人観光客はすぐにわかった。旅行者の誰もが、旅行社のロゴが入ったウエストポーチを腰につけている。中国語表記だから、大手旅行社の名前はすぐに覚えた。

 マレーシアやシンガポールや、そのほかの中国系のおばちゃん&おばーちゃんは、ペナペナ生地の黒いパジャマのようなズボンを好んではいていた。指輪やブレスレットやネックレスなど、キラキラ光るアクセサリー装着地率も、中国系は高い。

 韓国が海外旅行を自由化したのは、ソウルオリンピックを開催した1988年の翌年の89年だから、1980年代に韓国人団体観光客を見かけることはなかった。韓国人ビジネスマンもそれほど多くなかったが、80年代の2度の韓国訪問で、韓国人の男の髪型がちょっと変だということはわかっていた。それは、ひと目で「韓国人だ!」とわかった時代だった。

 韓国では「風紀取締り」、「アメリカの退廃文化流入阻止」を目的に、男の長髪を徹底的に取り締まっていた。長髪の男を連行したり、路上で丸刈りにするのも合法的な行為だったのだ。

 「韓国人の生活記録」に、こうある。

 「1973年には1万2000件以上の事件が取り締まり、1974年6月にはソウル市警が長髪の人に対する無期限の取り締まりを開始し、1週間で1万103人を逮捕した。このうち、9,841人がその場で頭を剃られ、頭を剃らなかった262人が即決で裁かれました」

 韓国はそういう恐ろしい国だったのだが、1988年のソウルオリンピック開催を前に、「民主的な国」の振りをしようとした。1980年に入ると、長髪取締りが緩み、88年にはその根拠とした法律も廃止された。そういうわけで、80年代に入ると、70年代の取締りの反動で男の髪が長くなった。後ろ髪がエリにかかり、両側が耳を覆う髪型だ。それが芸能人だけの流行ではなく、背広を着たサラリーマンたちの髪も急に長くなった。その様子がよくわかるのが、1980年代を舞台にした映画「弁護人」(ソン・ガンホ主演、2013)で、予告編を見ても出演者の長髪ぶりがわかる。ちなみに、この映画は、大阪西成で見た。

 サラリーマンでも耳が隠れるほどの長髪で、おばちゃんはパンチパーマだから、外国で韓国人がすぐに見つけられた時代があったのだ。