2156話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その51

長髪とチリチリパーマ 2

 話は、バンコクのホテルで休憩しようと立ち寄ったときに戻る。

そのホテルでガイドを取り囲んでいる観光客たちは、ちょっと離れて眺めると、日本人団体客とほとんど区別がつかない。私が服装に詳しければ、「あのブランドは韓国のものだ」などとわかるかもしれないし、「これが今ソウルではやっている着方」などとわかるだろうが、その方面の知識はまったくない。

 若い世代の韓国人は、私の目には日本人との違いがわからなかった。服装も髪型も、韓国人は男女ともに日本人と区別がつかない姿になったのだと思った。言葉はもちろん違う。考え方や習慣ももちろん違うが、ただ立ったまま、ガイドの話を聞いている姿だけなら、もはや日本人も韓国人も台湾人も、違いがわからなくなった。台北で、派手な化粧の女たちが歩いているのを見て、「韓国人観光客か?」と思ったのだが、彼女らは大声で関西弁を話しながら私の脇を通り過ぎて行った。

 韓国人は、「日本人と韓国人は、骨格などからすぐに見分けがつく」と言いたがるのだが、そういう発言はもはや老人の趣味のような気がする。若者は、もうそういう発言をしないような気がする。

 時代は、確実に変わったと思いつつホテルのロビーを抜けようとしたら、壁際の石の床にまるくなって座り込み、お菓子をつまみ、何かを飲んでいるパンチパーマのおばちゃん&おばーちゃんたち十数人が見えた。服装も、明らかに若い世代とは違い「おばちゃん趣味の色や形」だ。ガイドの説明は息子や娘に任せて、「さあさあ、こっちは休憩、ひと休みして、おしゃべりよ」という人たちだ。

 この世代は、明らかに旧時代のままだ。変わっていない。2010年のおばちゃん&おばあちゃんは、1960年代以前の生まれだろう。

 おばちゃんたちのチリチリパンチパーマは、その名を「アジュンマ・パーマ 아줌마 파마」(おばちゃんパーマ)という。韓国のパーマ史がよくわからないのだが、日本時代からパーマはあったようだが、韓国で広まるのは1970年代あたりからではないかと想像している。1960年代だと生活が厳しいから、高価なパーマは市場のおばちゃんにまでそれほど広まらなかったのではないかという想像だ。おばちゃんのパンチパーマは1980年代がピークだとする説があり、いつまで続いたのか調べてみると、どうやら「現在も」というのが正解らしい。

 毎度資料に使っているドラマ「応答せよ 1988」だが、この集合写真を見ると、おっちゃんは長髪、おばちゃんはチリチリパーマという1980年代末の髪型がよくわかる。ドラマ放送後、出演者たちが撮影の思い出を語る番組があった。女優たちは「みんな、チリチリパーマのかつらをかぶってたわね」と懐かしそうだった。「アジュンマ・パーマ」で画像検索すると、このドラマの画像が出てくるくらい印象的だった。こういうサイトもある。ドラマ「応答せよ」シリーズはほかに「1994」と「1997」があるが、チリチリパーマが登場するのは「1988」だけだ。そういう意味でも、チリチリパーマは80年代的髪型だといってもいいのかもしれない。もちろん、その後、完全に消えたわけではないが。

 ネット上に、このおばちゃんパーマの記事は多くあるが、書き手が若い世代だと「韓国独特の髪型」ととらえているようだが、昔の日本でも同じだった。パーマは手間がかり、カネもかかるから、農村在住者や労働者階級の女性たちは、年に1回かせいぜい2回くらいしかパーマ屋に行けない。だから。長持ちするようにチリチリに強いパーマをかけていたのだ。私の記憶では、1950から60年代なら、毛先はパーマがかかっているが、頭頂部は直毛になり、年配だと、生え際に白髪があるというおばちゃんはいくらでもいた。1960年前後の母や近所のおばちゃんたちの髪型も、やはりチリチリパーマだった。ただし、韓国人女性ほどチリチリ度は高くなかったと思う。