2157話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その52

すいとんと美国 1

 この韓国話は、すでに50回を超えて、新書の原稿量に近づいてきたが、今回のソウル旅行の主たる目的である食文化のことはまだ書いてない。食文化をきちんと書くにはもっと勉強が必要で、書き始めれば長くなることはわかっているので、後回しにしている。食文化の話に入る前に、いくつかの短い話題を書いておくことにしよう。まずは、こんな話から。

 昼に何を食べようかと、街をうろついていた。いくつもの食堂を点検していくなかで、店のガラスに수제비」とあって、「ああ、すいとんか、いいな」と思ったというのは正確ではなく、すいとんの写真が貼ってあり、ハングルを読んで、それが「すいとん」だと確認できたというわけで、写真なしでは料理の正体はわからない。

 昨今、「昔懐かしき、ニッポン」といった番組が多く、そのなかでときどき「今は消えた料理」のひとつとしてすいとんが取り上げられることがある。世間的にはそれは事実なのかもしれないが、私はすいとんが大好きで、ときどき作る。冬になると、昼飯をすいとんにすることが少なくない。

 すいとんは子供の頃に母から教えてもらった料理だ。小麦粉をこねて、しばらく寝かせてから、指先で薄くのばし、野菜を入れたスープに入れる。練った粉を伸ばしながら、母と話をした。

 「すいとんて、おいしいね」

 「今はそう言えるけど、昔のすいとんは、お米も何もないから、寄せ集めの材料で作ったから、おいしくなんかなかったのよ。サツマイモの葉もいれたわね。もちろん、小麦粉だって充分にないから、いろんな粉を混ぜるのよ。ふすまとか・・・」

 「ふすま?」

 私が知っているふすまは、障子・襖のふすまだから、話がわからない。

 「ぬかは米の皮を削ったものでしょ。ふすまは小麦の皮を削ったもの。おいしくないけど、しょうがないから食べたの。混ぜ物が多いと固まらなくて、汁のなかでバラバラになるのよ」

 母とテレビを見ている時に登場したすいとんは、粉をゆるく溶き、スプーンで流しいれるというもので、そういうすいとんを母は知らなかった。のちに調べてみると、戦中戦後の食糧難時代にそういう水増しすいとんがあったようだし、食糧難時代とは関係なく貧しい村では、そういう水増しすいとんを昔から食べていたらしい。

 母のすいとんは、煮干しでダシをとったものだから、私には物足りなかった。のちに、私が作るようになると、ぜいたく版になり豚小間を炒めて入れた。ほかの具材は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモだから、カレーと変わらない。味は塩で、香りつけで、ほんの少々の醤油とゴマ油を入れるのが、ぜいたく時代のすいとんだ。

 「食糧難の時代は、もちろんお醤油なんてほとんど手に入らないし、お塩だって充分には手に入らないから、奥本さんから分けてもらったのよ」

 奥本さんとは、母の妹の夫で、塩が手に入れやすい仕事をしていた。近所で摘んだ野草の水煮に雑穀の粉で増量した小麦粉で作ったすいとんを食べるしかなかった母からすれば、食糧難の時代が終わりかけたころに生まれた息子の、「すいとんって、おいしいね」ということばに時の流れを感じたことだろう。母の世代にとっては、「おいしいすいとん」は形容矛盾だったのだ。

 韓国の食文化番組を見ていて、韓国にもスジェビというすいとんがあることを知った。その作り方は、我が家と同じように練った小麦粉を薄くのばして鍋に放り込んでいた。ダシは母と同じように煮干しでとっている。味を想像すると、汁は透明だから塩味で醤油は使っていないようだ。赤くないから多分トウガラシもニンニクも入っていないのだろう。味も食感も想像できるが、「ちょっと食べてみたいなあ」と思った。

 それから二十数年、ソウルの路地で突然すいとんに出会ったのである。これは、食べないわけにはいかない。