2158話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その53

すいとんと美国 2

 すいとんの写真を店頭に掲げた食堂に入った。客は誰もいなかった。メニューを見ると、日本語で「エゴマすいとん」と書いてある。ソウルを歩いていると、予想以上に日本語のメニューがあることに驚く。

 エゴマの葉は知っている。食べたことはあるが、シソの方がうまいと思う。エゴマは知っているが食べたことがないので、ちょうどいい。メニューの写真を指さしながら、発音練習で「スジェビ、ジュセヨ」と言ってみる。チュセヨかジュセヨか、どちらが正しいのかわからないから、あいまいな発音をする。

 注文を終えたころ、店に客が入ってきた、家族連れだ。夫婦に高校生の長男と中学生の長女という感じだ。長男は耳にイヤフォン、左手にスマホを持ち、メニューをちらっと見て、右指で指し、目はスマホに戻る。長女はスマホを手にしていないが、黙ったままだ。日本も韓国も、こういう家族が多くなったのだろう。

 すいとんが来た。エゴマの汁は、ゴマ汁といってもいいような味で、可もなく不可もなく。具はタマネギとわずかなニンジンだけ。すいとんそのものは、私がつくるものと大差ない。想像の範囲以内の味と舌ざわりで、意外性も失望もないが、感動もない。いや、「韓国ですいとんを食べた」という感動はあった。もし、ひと月ほど韓国にいたら、どこかの店でまたすいとんを注文するかもしれない。私は辛い料理が大好きだが、韓国の辛い料理はあまり好きではない。

 エゴマすいとんと白菜キムチに薄切りタクアン。日本の料理人なら、すいとんの上に、三つ葉か青ネギかシソでも浮かべたいと思うだろう。タイ人もベトナム人も、料理に彩りをつけたいと思うだろう。食堂では、水は卓上の紙コップにポットの水を注ぐ。

 

 家族連れが何を注文したのか、私の席からは見えない。器は見えるが、料理が見えない。長男はスマホを置いて、右手に箸を握っている。話し声が聞こえてきた。あれ? なんだ? 韓国語ではない。英語だ。韓国系アメリカ人の家族かと思ったが、父親の英語があまりうまくない。ヘタではない。会話にはなっているが、アメリカ人の英語ではない。夫婦間では韓国語をしゃべっているが長男とは英語で話している。我が耳がだんだん大きくなり、会話の内容が少しわかるようになった。

 「昨日会ったあの人が、キミの父親のおじさんで、若者ふたりがその息子だから・・・」

 なんだ。家族じゃないのか。「長男」だと思っていたが、違うらしい。高校生の話し声が低く、まったく聞き取れない。どういう英語でしゃっべっているのかわからない。「長女」はひと言もしゃべらないから、この夫婦との関係がわからない。

 想像するに、アメリカ(オーストラリアかもしれないが)に住んでいる少年と少女が、父親の親族をたずねて韓国に来て、昨夜親族の宴会に出席したということではないか。夏休みを利用して、短期韓国留学かもしれない。「父」が話していることは、ほとんど親族関係の話で、ドラマでいえば相関図の説明だから、写真と文字がないと、少年には複雑な家系図はなかなか理解できないだろう。

 食堂での会話を盗み聞ぎしていて、成田から仁川に向かう飛行機内のことを思い出していた。

 飛行機に乗り込み、自分の席を探した。中央の帯で、3人掛けのシートだった。隣の席はひとつ空いていたが、すぐ後ろの席近くで立っている男が、その席に座ることになる乗客だとわかった。立っている男の脇に、老夫婦が座っていて、静かに韓国語で話をしている。老いた両親を連れて日本旅行をした長男夫婦という感じの、韓国人の家族旅行のように見えた。

 機内では映画を見ていた。日本では当時まだ公開されていない「ボストン1947」だが、時間切れで到着時間になった。映画の続きは帰国便で見ることにした。飛行時間が短いと、映画1本見る余裕がない。

 飛行機が韓国に着くちょっと前、客室乗務員が前方から歩いてきた。手に入国カードを持ち、乗客の顔を見つめて、「Korean?」とたずねている。私はもちろん「No」と言って、入国カードをもらった。隣りの乗客にも同じ質問があり、答えは「ネ」(はい)だろうと思っていたが、「ミグク」と言った。漢字で書けば美国。アメリカ人家族だったのか。

 ということは、私の想像上の「家族旅行」の設定が崩れた。後ろの席にいる老夫婦は韓国からアメリカへの移民一世で、その里帰りに付き添っているのが、二世である長男夫婦で、日本で乗り換えたのかもしれない。事実がどうかはまったくわからないが、孤独な旅行者はいつもこういう妄想と遊んでいる。

 そういえば、ソウルを歩いていて、アメリカ英語がよく聞こえてきた。しゃべっている男たちの国籍はわからないが、顔立ちは韓国人風だ。韓国系アメリカ人の若者が、大学の友人たちを連れて韓国旅行をしている構図や、韓国語留学をしていて級友たちと飲みに出かけたという構図なのかなどと、想像を巡らせる。