薬屋
『ソウルの練習問題』(関川夏央、情報センター出版局、1984)で、ハングルの構造を説明する例に「약」を取り上げて、こう解説している。
「『yak』と発音する。『ヤク』ではない。『k」』言ったつもりで言わない。強いて言えば『ヤッk』。ソウルを歩いていて誰でも最初に覚える看板がこれ。薬屋の『薬』。異常なほど多い」
もちろん、私もすぐに覚えたのだが、そういえばタイも同じだなあと気がついた。タイ語で薬は「ยา」と書く。ローマ字表記すればyaaだから、「ヤー」と発音する。タイ語の読み方はかなりややこしいのだが、これは子音+母音というもっとも単純な読み方だから、タイ語初心者でも街を歩いていれば、薬屋の看板はすぐに読めるようになる。
韓国語同様、中国語の「薬」が語源だろう。タイでも韓国でも、やたらに薬屋の看板が目立つ。バンコクを歩いていて、「薬屋が多いな」と思ったのは中華街をうろついていたからかもしれない。過去の韓国旅行を冷静に振り返ることができたのは、改めてソウルの薬屋街を歩いたからだ。薬屋街探訪を目指したわけではない。宿泊した宿がたまたま鍾路にあったから、このすさまじい薬屋街に出会ったのだ。

鍾路の薬屋街。この写真だけでも、韓国語の약という語が10個くらいはすぐに見つかる。この先数百メートルも薬屋が続く。左上に약국という語が見える。「ヤックク」だから、想像力を働かせると「薬局」だとわかる。
地下鉄東大門駅を出て、鍾路を歩く。しばらくは家電店などもあるが、だんだん薬屋ふえてくる。鍾路5街駅が近づくと、「軒並み薬屋」となる。鍾路の南側、東大門から歩くと左側にも薬屋はあるが、「パラパラとある」程度だか、右側つまり北側の商店は「びっしりと」薬屋なのである。鍾路5街駅を過ぎて、鍾路3街駅方向に歩いてもまだ薬屋が続くが、宗廟近くになるとオフィスビルが現れて、薬屋は消える。地図に定規を当ててその距離を測ると、ざっと500メートルくらいになる。私が勝手に想像するだけだが、これは世界最長の薬屋街ではないか。
タイでも韓国でも薬屋が多いのは、病院が少なく医療費が高いからだ。体が不調なら伝統的な薬か売薬か祈祷などに頼ろうというのは、どこの世界でもあることだ。そこで、韓国の健康保険史を調べてみたくなった。「社会保障研究」を読むと、こうある。
「1976年の制度改正で500人以上の事業所に雇用される者が強制加入となった。その後,強制加入の対象者の拡大が進められた。また,農村や漁村を対象とした地域医療保険が1988年に,都市部の自営業者を対象とした地域医療保険が1989年に実施された。これにより『国民皆保険』が達成された」
つまり、公務員でも大企業の会社員でなければ、1980年代末までは医療保険がなかったということらしい。「国民皆保険」時代でも未加入という人も少なくないだろう。だから売薬に頼らざるを得ないということなど、薬屋が多い理由はいくつか浮かぶのだが、なぜこの通りに薬屋が多いのかという日本語の解説を読んだことがない。ソウルの辺境地ではなく、広蔵市場(カンジャンシジャン)などがある中心地の大通りなのだが、この通りは日本人旅行者や旅行ライターたちを刺激しなかったらしい。
ソウルの薬屋街はいかにして誕生したのか。なぜこの場所なのかといった情報はまったく見つからないが、もしかして少しは関係があるかもしれないという情報は得た。
薬屋街の中心は地下鉄1号線の鍾路3号駅あたりなのだが、そこから忠武路(チュンムロ)を南にちょっと下ると、地下鉄3号線の乙支路(ウルチロ)3街駅がある。その駅の3番出口付近にかつてあったのが、歴史ドラマではおなじみの庶民の医療機関恵民署(ヘミンソ)だ。高麗国時代の1392年にできて、李王朝最末期の1882年に閉鎖された。
ウィキペデイア韓国語版によれば、その場所は現在の住所では、ソウル市中区乙支路3街65番地ということらしい。そこには記念碑が建っているとこのブログで知った帰国後だから、現物は見ていない。
恵民署を調べていて、「そうそう」と思い出したことがある。1882年に恵民署は廃止され、そのあとに西洋医学の病院ができるまでのいきさつを描いたドラマが「済衆院」(チェジュンウォン)だ。家畜解体をなりわいにしている被差別民白丁(ペクチョン)の男が、家畜の体を知っているなら人間の体もわかるだろうという理由で医者に育てられるというのは、ドラマ「馬医」と似ている。ちなみに、韓国ドラマを語る日本人はほとんど触れないが、韓国のドラマには被差別民がしばしば登場する。日本ではほとんど無理だ。
次回から、いよいよ食文化の話に入るが、長くなると今年中に終われないかもしれないという不安がある。今日も、韓国関連の本が2冊届いた。