2167話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その62

食文化を眺める 2

 それでは、そろそろ韓国食文化話を始めようか。

 韓国の食文化を語るエッセイはいくらでもあり、そこでは必ずと言っていいほど同じ話が登場する。例えば、韓国人が書くこういう話

 書き手は、「パン、モゴッソヨ?」という韓国語を紹介する。直訳すれば、「ご飯、食べた?」という意味だが、ご飯を食べたかどうかという質問ではなく、日常のあいさつ語なのである。「やあ、元気?」程度のあいさつだ。ご飯を食べたかどうかという質問があいさつになる理由は、朝鮮半島では昔から満足に食べられなかった人が多く、とりわけ戦乱が多い現代史では、飯が食えるかどうかが重要で、他者に対する心遣いを表現した韓国人のやさしさを表しているあいさつの言葉である、と解説している。朝鮮半島の食糧事情は厳しかった歴史があり、だからこそ理想の食生活は「大量の飯と汁、そして数多くのおかず」だから、「食べ残すことがぜいたくであり、満足感を示すマナー」となり、食堂ではおかずの使いまわしや残飯が多くなるという現実がある。これらは、量と皿数重視の「腹いっぱい思想」の行きすぎだと私は思っている。

 日本人がある事柄を、「日本独特、日本人特有」などとして、日本人がいかに優れているかと強調するのを目や耳にすることがあるのだが、韓国人も同じように「韓国独特、韓国人特有」と、折に触れ言いたがるクセがある。日本でも韓国でも、愛国的な主張をしたがる人は、とかく「井の中の蛙」状態になっていて、国外の事情を知らないことが多い。

 韓国人の発言をそのまま信用してしまった日本人も、このあいさつを紹介している。外国の事情を少しでも知っていたら、「ご飯食べた?」というあいさつが、韓国特有のものではないと気がついたのにと思う。

 中国語の你吃飯了嗎(ニー・チー・ファン・ラ・マ)、あるいは吃饭了吗は、文字どおりは「ご飯食べた?」という意味だが、「やあ、どう?」という程度のあいさつ言葉であって、食事を済ませたかどうかを質問しているわけではない。「飯食ったか?」があいさつになるというのは、中国起源ではないかと私は思っている。

 タイ語の「キン・カオ・ルーヤン」も同じ意味の言葉で、やはり「やあ、どう?」程度のあいさつ言葉だ。

 他の言語でも同じだったよなあと確認作業をしていたら、味の素の広告が見つかった。味の素が新聞や雑誌に載せた広告を集めたサイトで、2015年に雑誌に載せた広告『「ご飯食べた?」が挨拶になる国』。ベトナムの農村らしき風景写真に、タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、カンボジア、そして日本のそれぞれの国で、「ご飯食べた?」が「やあ、元気?」といったあいさつのことばとして使われていますとして、さまざまな言語で「ご飯食べた?」が表記されている。ただし、なぜか韓国語はない。その広告をここでコピー&ペーストすることはできないので、リンクから入って、2015年の雑誌広告を探していただきたい。

 インドのことはまるで知らないのだが、ネットで調べると、インドの各地でも様々な言語で「ご飯食べた?」があいさつ言葉になっているという報告がある。このブログで韓国のことを書いていても、常にそれ以外の地域や民族のことも考えているのが、私のクセだ。

 この話をもう少し広げたくなったので、次回に続編を書く。