食文化を眺める 3
国会で「ご飯論法」が話題になったことがある。「ご飯をたべたか?」と聞かれて、パンは食べたが米の飯は食っていないから、「ご飯は食べていない」と論点をずらす論法だとする。
日本語では、「ご飯」というと、「食事」という意味と「米を炊いたもの」の意味もある。韓国語の「パン、モゴッソヨ?」のパンは「飯」だから、韓国でも日本と同じように、パンは食事の意味であり、米を炊いたものでもある。中国でもタイでも同じで、「それは、コメを食べてきた民族の共通語である」と説明する人もいる。
「パン、モゴッソヨ?」について、少々韓国語の説明をしておく必要がありそうだ。「パン」は밥(パップ)、キムパップ(のり巻き。のり+飯)のパップなのだが、そのあとに来る語によってpapがpamに発音が変わるが、文字は同じだ。つまり、飯はパップでありパン(パム)でもあるというわけだ。特に「米の飯」と言いたいときは、コメという語をつけて、「サルパップ」という。「韓国語のパンはパンだけど飯でもある」という謎解きをしておこう。日本語のパン(ややこしい話だが、英語のbreadのことです)は、韓国語でも「パン」であり、綴りは違うが「飯」もパンだ。部屋を意味する語「房」もパンだ。ペッパン(백반、白飯)というのは、日本語の「しろめし」とは違い、定食のことだから、さらにややこしい。しかも、この반もカタカタで書くとパンだから、もっとややこしい。ついでに書くと、漢字の半、班、反などもパンだ。
日本語では、イネ→コメ→メシと加工の過程で名称が変わる。韓国語では、ピョ→サル→パップと変わる。タイ語ではすべてカーオで、もちろん食事もカーオである。ちなみに、英語では、イネもコメのriceだが、炊いたコメだと特に説明するときはcooked riceあるいはboiled rice、食事はmeal。
インドネシア語のテキストを読んでいて、日本型に近いと思った。padi(イネ、水田)、beras(コメ。発音はブラス)、nasi(米飯)だ。前回書いた「ご飯食べた?」というあいさつことばのインドネシア語版は、sudah makan(スダ・マカン もう食べた)であって、sudah makan nasiではない。nasi(米飯)という語がつかない。
インドネシア語に詳しい知人によれば、昼にパンや麺を食べた場合はnasi(米飯)を食べていないから“makan nasi”とは言わない。つまり、「食事」の意味では使えない。ご飯論法は、インドネシアでは当たり前なのだという。
韓国食文化の話から外れるが、ついでだからインドネシアの話を続ける。インドネシア語に「食事」という単語があるのだろうかという疑問だ。“Sudah makan?”は「もう食べた?」であって、目的語がない。日本語や韓国語やタイ語にあった「飯」という語がないのだ。
インドネシア語辞書にあたると、食事を意味する語はpersantapanという見慣れない語があった。別の辞書で調べると、この語は「王様の食事」といった特別の意味がある語で、超浅学の身でいうと、日本語の飯、英語のmealにあたる語がないらしい。makanは「食べる」、makananは「料理、食べ物」、masakanは「食べ物」という説明が辞書にはあるが、それ以上詳しい説明は、私ではまったく無理だ。