2170話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その65

食文化を眺める 5

 韓国のタクアンの記憶がたえず増幅されてきたことに理由はある。「韓国人はニンニク臭い。キムチ臭い」という日本人の嘲笑に対して、「日本人はタクアン臭い。羽田に着いたら、アクアンの臭気が充満している」といったか韓国人の反論を何度か読んだことがあるからだ。今はそんな反論、いいがかりはないだろうが、1980年代あたりまではあったのだ。昔は、タクアンが本当に臭かったのだ。妹尾河童が書いたタクアンに関するエッセイ『タクアンかじり歩き』(1983)のなかに、各地で買ったタクアンを自宅に持ち帰る列車内でその臭気悩んだというエピソードがある。私自身、アメ横でぬか付きタクアンを買ったことがあるのだが、帰宅途中の車内でひどく匂ったことをよく覚えている。キムチもタクアンも、パック容器に詰められるまでは、持ち運ぶには苦労する臭い漬物だったのだ。

 韓国人は、黄色く甘いタクアン(しばしば酢を振りかけている)が好きだ。日本から伝わったタクアンは、ぬかみそ臭さを消して、黄色く甘いものだけ残った。韓国語でタクアンは、タンムジ(甘い大根漬けの意味)や日本語のままタッカンなどという。韓国料理には各種キムチがつくが、中国料理など韓国料理以外にはキムチがつく。ソウルの外国料理店の料理を画像検索したことがあるのだが、その結果インド料理店や中南米料理店の料理にも、小皿のタクアンがついていることがわかった。イタリア料理にはピクルスがつく。「韓国人は、ピクルスがないとイタリア料理が食えないんだ!」というのが、ドラマ「パスタ」でしばしば出てくるセリフだ。韓国人は、漬物がない食事は不安なのだ。

 韓国人にとってタクアンは大好きな漬物なのだから、タクアンを貶めることはないだろという感情があったから、「韓国のタクアン」が気になっていた。

 ここで横道話に入りたくなった。いつものことだが、韓国の食文化と深い関係がある話だから、書いておこう。

 その昔、羽田空港がタクアン臭いと感じたことはないが、金浦空港は「なんだかキムチ臭かった」。1985年に金浦空港に着いたときの記憶はない。87年のときは「なんだか匂う」と感じた。87年の取材は85年のときと違って、文章も写真も私が担当するひとり旅で、、宿はソウルの中心地にしてもらった。雑誌編集部の話では、空港に迎えが来ることになっていた。私が偉くなったのではなく、空港から取材先に直接向かうというスケジュールになっていたからだ。

 空港の税関検査を終えてロビーに出る。あたりを眺めると、「Mr.MAEKAWA」と書いた紙を掲げている若者が見えた。私がそちらに歩き出すと、若者ふたりが手を振った。

 「前川です」と英語であいさつすると、必要にして充分という程度の英語で、「ようこそ、韓国へ」と言って若い男が自己紹介しながら右手をさしだして、握手。20代後半の男がコーディネーターで、20代前半に見える男は運転手役だった。彼らとの距離が30センチほどになり、強烈な口臭が私を襲った。大量のキムチとニンニクの朝飯を食って空港に来たことがすぐにわかった。日本で餃子を食ったばかりだという人と握手をするのの20倍は臭かった。

 ニンニクの臭気に包まれた金浦空港からどうなったという話は、長くなるので次回に続く。横道話が長くなるのはいつものことだから、ちょっと辛抱していただきたい。