食文化を眺める 10
「朝鮮人はどうやって飯を食ってきたのか」というのが、私の主たる関心だ。大韓民国成立以後の食文化史だけを知りたいわけではないので、「朝鮮」としたが、大意はない。時に応じて「韓国」も使う。「どうやって」というのは、農業や水産業や経済や調理など、食に関するあらゆる分野に興味はあるが、ここ数年はポイントを絞り、「食べ物をどうやって口まで運んできたか」という朝鮮史を知りたくて調べている。この研究テーマはすでにブログで何度も触れているが、ここでまとめて書いておこう。
韓国の食文化エッセイを読んでいると、「食事マナー」というのが必ず紹介される。いちいち情報源を明記しないが、次のようなヨタ記事は数多くある。料理ライターやトラベルライターや韓国通という人たちは、次のようなことを書き続けている。
- 飯と汁はサジで食べる。そのほかのおかずは箸を使う。
- 器を持ち上げて食べることはしない。これが日韓の食事マナーの最大の違いだ。
- 日本人のように器を持ち上げて食べないのは、器が金属だから、熱い料理が入っている器を持ち上げられないからだ。
- 戦乱が多いので、割れにくい金属器が好まれている。ステンレス食器は安価だから使っている(アルミとステンレスの違いがわからないらしいる。
- 箸が金属なのは、銀の箸は毒薬に触れると変色するから、暗殺の危険から身を守ためだ。
こういう「食事マナー」を紹介した記事は多いが、誰かの説を鵜呑みにしたものがほとんどで、「なぜそうするのか」という理由や、箸&サジの食事法の歴史を考える者はもっと少ない。しかも、数少ない論考も、論旨がいいかげんで首をかしげる。すでに、「マナー論」に関してこのアジア雑語林で考察をしているが、ここで改めて書いてみよう(すでに書いた論考①、②)。誤解のないように書いておくが、韓国人の食事の仕方がおかしいと言いたいのではない。どういう食べ方をしてもいいのだが、「これが正しい食事マナー」だとしている説がおかしいのではないかとというのが私の考察だ。
『食卓の文化論』(石毛直道、岩波書店、1993)を参考に私の想像を加えて、サジと箸の話を進めたい。中国では紀元前3~2世紀ごろから箸とサジ食で食事をするようになり、宋(960~1279)から元(1271~1368)あたりまで続いた。中国北部では箸とサジで食事をしていたのは、雑穀入りの飯がパラパラだから飯をサジで食べ、おかずを箸で食べていたからだ。後に、粘り気のある南部の米食文化が広まり、基本的に箸で食事をするようになった。
箸とサジを使って食べる食事法は、朝鮮に伝わり、そして日本にも伝わった。そういう歴史は、正倉院にサジが保存されていることでもわかる。日本のコメは華北や朝鮮のコメよりも粘り気があり、食器に口をつけて食べる習慣があったので、サジはほとんど使われなかった。しかし、朝鮮では現在まで使われている。韓国の食文化を語るなら、そこから話を始めないといけない。
中国から朝鮮に伝わった箸とサジの食事法は、なぜそのまま残ったのか。サジは汁に対応すると思われがちだが、当時のサジは飯用だった。朝鮮の、特に北部はコメはほとんど取れず、アワなど雑穀類を主食にしていた。パラパラの飯はサジがないと食べにくいのだ。粥にしても雑炊にしても、サジの方が食べやすい。朝鮮に箸とサジの食事法が残った理由のひとつは主食の穀物の問題がある。もうひとつの理由は、箸とサジの食事法が、圧倒的支配力を持つ中国の文化だからだ。科挙だけでなく宦官さえも取り入れた朝鮮だ。すばらしき中国の食事法もそのまま取り入れたというのが、前川の想像だ。
朝鮮半島は寒冷地が多く、山がちで、しかも為政者が産業をあまり考えなかったせいで、農産物が充分に取れない。日本なら、コメが作れないから小麦を作り団子やうどんにするとか、あるいはそばを栽培する地域もあるのだが、朝鮮では小麦粉も貴重だった。有力な救荒作物と言えば、ソバやアワなどだろう。だから、飯はいつまでもパラパラだったから、サジは必要だった。トウモロコシが伝わっても、米の飯のように炊いたからパラパラだ。
サジは汁用ではなく飯用だった証拠に、最近まで韓国のサジは底が浅く、少しくぼみのあるヘラといった感じだった。日本人がカレーを食べるときに使うスプーンほどのくぼみはない。つまり、たいして汁をすくえないのだ。
ここまでの推察をまとめると、箸はおかず用に使い、サジは飯用に使ったということになる。とすれば、汁はどうやって飲んだのか。それが次回の話。