食文化を眺める 11
韓国の食文化を調べていてがっかりするのは、王族と支配階級の両班(ヤンバン)の食習慣が、「これぞ、韓国の伝統文化」と紹介している人ばかりだということだ。「銀の箸を使うのは、銀はヒ素に反応するから暗殺を防ぐためだ」と解説している人が少なからずいるのだが、朝鮮全土で暗殺の恐怖を感じていた人が何人いるのか。熱くて持てないという金属の食器を日常使っている人がどれだけいたのか。博物館で展示している食器や膳は支配者階級のものだ。当たり前に毎食白米をたらふく食っていた人たちの食生活を、「韓国の伝統的食文化」と紹介されすぎていないか。誰か疑問に思う人はいないのか。料理研究家とか料理ライターという人たちを基本的に信頼していないのは、歴史的考察が著しく欠けているからだ。情報を鵜呑みにしている人たちだからだ。「パスタを食べるときにスプーンを使うのは日本人とアメリカ人だけ」といった誤報を垂れ流しているのもあの人たちだ。それは違うよという話はこの雑語林でしばしば書いている。例えば、これ。
韓国のテレビドラマや教養番組などで、器を左手に持って食事をしているシーンをよく見ている。実は、上流階級の人たちとの祝宴といった場合を除けば、かつては器を持って食事をしていたのではないか。その証拠の絵はないかと探しに来たのが、今回の韓国旅行だ。
ついさっき、我がパソコンに韓国ドラマの紹介(広告)が出て来た。とんかつ屋が舞台らしいというだけの理由で、「ちょっと味見しませんか?」の第1回分は無料というのを見た。食事シーンが多いのだが、誰もが飯茶碗を左手に持ち飯を食べている。そのシーンを見てわかることは、食卓中央に置いた鍋にサジを伸ばして汁を飲もうとするとき、左手に持った飯茶碗をサジの下に構えて、汁が落ちないようにしているのだ。「飯は箸ではなくサジで食べる」と解説している人もいるが、はい、箸でも飯を食っています。そういう食事の仕方を演出しているとは思えないので、役者のいつものクセが出ているのだろう。これが、現実なのだ。
さて、「朝鮮人の飯の食べ方」の話は、まずは膳の話から始めるか。
日本でいえば、銘々膳にあたる個人用の膳を、韓国では小盤(ソバン)という。民俗村でも展示してある。
正月料理各種。
小盤(ソバン)は台所で、このように壁にかけておく。
中央の座卓には、「夏の食事」という説明がついているが、こういう折り畳み式座卓(ちゃぶ台)は日本時代に登場したのだろう。
朝鮮王朝時代に膳があったことはわかっているが、その普及率がわからない。食うや食わずで暮らしている家庭に膳があったとは思えないのだ。食器を直接床に置いたか、板状のものを使ったかもしれない。日本では盆のような板を置いた。それを折敷(おしき)という。多少生活に余裕があると、箱膳を使った。朝鮮でも、農民でも豊かな生活をしていれば小盤はあっただろうが、どこの家にもあったといえるのか。食うものがロクにないのに、膳だけはあるということはないだろう。
「韓国人の食卓」(KBS)というテレビ番組で、寺の食事を取り上げた回があった。折敷に食器がのっていて、僧たちは椀を左手に持って食べていた。膳がないのは、永平寺と同じだった。これが朝鮮王朝時代の大多数の食事風景ではないだろうが、「漆塗りの美しい小盤で食事をしていました」というのも違うし、おそらく折敷もなかったかもしれない。
膳にこだわるのは、器が低い位置におけば、汁をサジですくうと、ポタポタとこぼしてしまうからだ。それが嫌だから、東アジアやベトナムに住んでいる人たちは、器に口をつけるか、チリレンゲのような深いサジを用意したのだ。もう一度書いておくが、朝鮮のサジはヘラのように浅いのだ。それが、日本人が使い慣れているカレースプーンのような深さがあっても、それでラーメンの汁をすくって食べるのはイライラする。「パルパル!」(急げ、急げ!)とせっかちな韓国人が、ヘラのようなサジで碗の汁をチマチマと全部飲むか?
膳を使って食事をしていた人はいた。汁やおかずをこぼさないように、日本の銘々膳よりた高く作ってある。問題は、そういう膳を使って毎日食事をしていた人がどれほどいたのかということだ。
「韓国人は汁ものが好きだからサジを使って食事をする」というなら、チリレンゲのような深いサジを使えばいいのだ。そうしないのは、椀の飯をたべるにはへら状の方が食べやすかったからではないか。サジは汁に対応していないのではないか。
次回は、学術論文に反論をする。