食文化を眺める 18
日本人食文化研究者が、韓国料理の専門家から講義を受けるという構成の本『韓国の食』(黄彗性、石毛直道、平凡社、1988)に、ビビンパの解説がある。法事などで参拝者に出すいわば丼物のようなものが、「ビビムパプ」(黄さんの表記)の始まりのようだが、そもそもを言えば、年末の残り物をご飯に混ぜて一気に食べてしまい、その翌日から由緒正しき正月料理を食べる習慣があったという。
つまり、家庭レベルでは、丼の上にきれいに食材をを盛り付けるという料理ではなく、ご飯と残り物のおかずを混ぜて碗に盛ったものだそうだ。それなら、親の仇のようにご飯を混ぜるというのは、上流階級のビビンパプの話で、下々の者が食べていたのは初めから混ぜてある「混ぜご飯」のビビンパプ(混ぜご飯の意味)だったようだ。
そのことがずっと気になったまま何年もたった。先日、ネット動画でインド人の食事風景を見ていて、ヒントが浮かんだ。
長粒種のコメを食べている人たちは、日本人のように「飯、おかず、飯、おかず・・・」という食べ方をしない。飯はそのまま口に運ばず、汁気のあるおかずと混ぜて口に運ぶ。インディカ種のもち米を常食にしているタイ東北部やラオスに住む人たちは、蒸したもち米飯を右手でつまんで団子状にして食べる。日本人なら、「飯、おかず、飯、おかず・・・」と食べていくのだが、現地での普通の食べ方は、もち米団子をおかずの汁につけたり、おかずと団子を合わせて、口に運ぶ。例えば、焼き魚のおかずだと、魚をちぎって飯団子にのせ、一緒に食べる。それぞれ飯だけおかずだけを口に運ばないというわけではないが、飯に味をつけてから口に入れる傾向はある。
飯には、味がない。だから、味をつけてから食べるという発想は欧米人にも共通するようで、日本料理の定食で、茶碗の飯に醤油をかけてから食べるというシーンをかつてはたびたび見ているが、あれはもう過去の話になったのか。
雑穀入りパラパラ飯を食べてきた朝鮮人も同じように、「飯」におかずや汁を混ぜて食べたがるのは、「パラパラ飯」に味をつけるとともに、汁気を与えて食べやすくしているのではないかというのが私の仮説だ。「韓国人は、汁ものなしでは飯が食えない」という話はよく聞くが、その理由のひとつはパラパラ飯に汁を与えたほうが食べやすいということもあるのではないか。パラパラ雑穀飯も、粥や雑炊にすれば、食べやすく、体が温まり、少しの食材で多くの人が満腹にできる。中国人や日本人が、そのままの飯を口に運ぶのは、箸で食べられるほどに粘り気のあるうるち米を、「うまい」と思い、たっぷり食べられるだけの量があるからだろう。今の韓国人は、「飯、おかず、飯・・・」のように食べるが、数十年前の農山村や都市貧困層なら、雑穀入りパラパラ飯を食べるのは日常だっただろう。
こういうことをあれこれ考えながら、韓国人の食風景を眺めている。学問的裏づけのない妄想であるが、孤独な旅行者の食事は、それも楽しみである。
そういえば、テレビドラマ(「パチンコ」)では、箸で飯を食べるシーンがある。時代設定は1920年代だが、少女が箸でご飯をつまむと、「箸でご飯を食べると、将来幸せになれないよ」と祖母がいうシーンがあった。現代が舞台のドラマでも、女優が箸で飯をつまんで口に運ぶシーンがある。あれは、セリフをしゃべりやすいように、箸で少しの飯を口に入れているのだろうと想像しながら、画面を見つめている。
今年分の更新は、今回で最後にしましょう。
7月に始まったこの韓国話は、秋ごろには終わるだろうと思っていたが、思い出したことや書きたいことが次々に出てきて、こんなに長くなった。下書きがかなりあるから、あと10回くらいは続きそうだ。『森村桂香港に行く』(講談社、1970)について、かの山口文憲氏は「1週間旅行しただけで、1冊本を書いてしまうんだからすごい」と評していたが、その質はともかく、この私も韓国のど素人のくせに、たかが10日足らずの旅行で、単行本1冊分の文章を書いてしまった。書きたいことを書いていたらこうなってしまった。来年1月初旬の偶数日にまた会いましょう。
새해 복 많이 받으세요.(セヘ ポン マニ パドゥセヨ)
どうか、よい年を迎えられますように